あったことで、禹《う》が九尾《きゅうび》の狐を娶《めと》ったなどという馬鹿気たことも随分古くから語られたことであろうし、周易《しゅうえき》にも狐はまんざら凡獣でもないように扱われており、後には狐王廟《こおうびょう》なども所※[#二の字点、1−2−22]《ところどころ》にあり、狐媚狐惑《こびこわく》の談《だん》は雑書小説に煩らわしいほど見える。印度でも狐は仏典に多く見え、野干《ヤッカル》(狐とは少し異《ちが》おう)は何時《いつ》も狡智あるものとなっている。※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]祇尼天も狐に乗っているので、孔雀明王が孔雀の明王化、金翅鳥《きんしちょう》明王が金翅鳥の明王化である如く、※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]祇尼天も狐の天化であろう。我邦では狐は何でもなかったが、それでも景戒《けいかい》の霊異記《れいいき》などには、もはや霊異のものとされていたことが跡づけられる。狐は稲荷《いなり》の使わしめとなっているが、「使わしめ」というものはすべて初《はじめ》は「聯想《れんそう》」から生じた優美な感情の寓奇《ぐうき》であって、鳩は八幡《はちまん》の「はた」から、鹿は
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