女房《かかあ》じゃあ汝《てめえ》だってちと役不足だろうじゃあ無《ね》えか、ハハハハ。
「そうさネエ、まあ朝酒は呑ましてやられないネ。
「ハハハ、いいことを云やあがる、そう云わずとも恩には被《き》らあナ。
「何をエ。
「今飲んでる酒をヨ。
「なぜサ。
「なぜでもいいわい、ただ美味《うめ》えということよ。
「オヤ、おハムキかエ、馬鹿らしい。
「そうじゃあ無《ね》えが忘れねえと云うんだい、こう煎《せん》じつめた揚句《あげく》に汝《てめえ》の身の皮を飲んでるのだもの。
「弱いことをお云いだねエ、がらに無いヨ。
「だってこうなってからというものア運とは云いながら為《す》ることも為ることもどじを踏《ふ》んで、旨《うめ》え酒一つ飲ませようじゃあ無し面白い目一つ見せようじゃあ無し、おまけに先月あらいざらい何もかも無くしてしまってからあ、寒蛬《こおろぎ》の悪く啼《な》きやあがるのに、よじりもじりのその絞衣《しぼり》一つにしたッ放《ぱな》しで、小遣銭《こづけえぜに》も置いて行かずに昨夜《ゆうべ》まで六日《むいか》七日《なのか》帰りゃあせず、売るものが留守《るす》に在《あ》ろうはずは無し、どうしているか知らねえが、それでも帰るに若干銭《なにがし》か握《つか》んで家《うち》へ入《へ》えるならまだしもというところを、銭に縁のあるものア欠片《かけら》も持たず空腹《すきっぱら》アかかえて、オイ飯を食わしてくれろッてえんで帰っての今朝《けさ》、自暴《やけ》に一杯《いっぺえ》引掛《ひっか》けようと云やあ、大方|男児《おとこ》は外へも出るに風帯《ふうてえ》が無くっちゃあと云うところからのことでもあろうが、プッツリとばかりも文句無しで自己《おの》が締めた帯を外《はず》して来ての正宗《まさむね》にゃあ、さすがのおれも刳《えぐ》られたア。今ちょいと外面《おもて》へ汝《てめえ》が立って出て行った背影《うしろかげ》をふと見りゃあ、暴《あば》れた生活《くらし》をしているたア誰《た》が眼にも見えてた繻子《しゅす》の帯、燧寸《マッチ》の箱のようなこんな家に居るにゃあ似合わねえが過日《こねえだ》まで贅《ぜい》をやってた名残《なごり》を見せて、今の今まで締めてたのが無くなっている背《うしろ》つきの淋《さみ》しさが、厭《いや》あに眼に浸《し》みて、馬鹿馬鹿しいがホロリッとなったア。世帯《しょたい》もこれで幾度《いくたび》か
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