けられてもいつか互《たがひ》に尋ねあてゝ一所《いつしよ》になる。銀杏《いてふ》の樹の雄樹と雌樹とが、五里六里離れて居てもやはり実を結ぶ。漢の高祖の若い時、あちこちと逃惑つて山の中などに隠れて居ても、妻の呂氏がいつでも尋ねあてた。それは高祖の居るところに雲気が立つて居たからだといふが、いくら卜者《ぼくしや》の娘だつて、こけの烏のやうに雲ばかりを当にしたでは無からう。あれ程の真黒焦の焼餅やきな位だから、吾が夫のことでヒステリーのやうになると、忽ちサイコメトリー的、千里眼になつて、「吾が行へを寝《い》ぬ夢に見る」で、あり/\と分つて後追駈けたものであらうかも知れぬ。貞盛の妻もこゝでは憂き艱難しても夫にめぐり遇《あ》ひたいところだ。やうやくめぐり遇つたとするとハッとばかりに取縋《とりすが》る、流石《さすが》の常平太も女房の肩へ手をかけてホロリとするところだ。そこで女房が敵陣の模様を語る。柔らかいしつとりとした情合の中から、希望の火が燃え出して、扨《さて》は敵陣手薄なりとや、いで此機をはづさず討取りくれん、と勇気身に溢《あふ》れて常平太貞盛が突立上《つゝたちあが》る、チョン、チョ/\/\/\と幕が引けるところで、一寸おもしろい。が、何の書にもかういふところは出て居ない。
然し実際に貞盛は将門の兵の寡《すくな》いことをば、何様《どう》して知つたか知り得たのである。将門精兵八千と伝へられてゐるが、此時は諸国へ兵を分けて出したので、旗本は甚《はなは》だ手薄だつた。貞盛はかねて糸を引き謀《はかりごと》を通じあつてゐた秀郷《ひでさと》と、四千余人を率ゐて猛然と起つた。二月一日矢合せになつた。将門の兵は千人に満たなかつたが、副将軍春茂(春茂は玄茂か)陣頭経明|遂高《かつたか》、いづれも剛勇を以て誇つてゐる者どもで、秀郷等を見ると将門にも告げずに、それ駈散らせと打つて蒐《かゝ》つた。秀郷、貞盛、為憲は兵を三手《みて》に分つて巧みに包囲した。玄明等大敗して、下野下総|界《ざかひ》より退《ひ》いた。勝に乗じて秀郷の兵は未申《ひつじさる》ばかりに川口村に襲ひかゝつた。川口村は水口村《みづくちむら》の誤《あやまり》で下総の岡田郡である。将門はこゝで自から奮戦したが、官と賊との名は異なり、多と寡《くわ》との勢《いきほひ》は競《きそ》は無いで退いた。秀郷貞盛は息をつかせず攻め立てた。勝てば助勢は出て
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