えのさきで、今の江戸崎である。それから翌日、良正がゐる筑波の南の水守へ到着したといふ事だ。私闘は段※[#二の字点、1−2−22]と大きくなつた。関を打破つて通りこそせざれ、間道※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]を通つて、苟《いやしく》も何の介《すけ》といふ者が、官司の禁遏《きんあつ》を省みず武力で争はうといふのである。良正は喜んで迎へた。貞盛も参会した。良兼は貞盛に対《むか》つて、常平太何事ぞ我等と与にせざるや、財物を掠《かす》められ、家倉を焼かれ、親類を害せられて、穏便を旨《むね》とするは何ぞや、早※[#二の字点、1−2−22]合力して将門を討ち候へと、叔父|様顔《さんがほ》の道理らしく説いた。言はれて見れば其の通りであるから、貞盛も吾が女房の兄弟の仇、言はず語らずの父の讐《かたき》であるから、心得た、と言切つた。姉妹三人の夫たる叔父甥三人は、良兼を大将にして下野《しもつけ》を指して出発した。下野から南に下つて小次郎めを圧迫しようといふのだ。将門はこれを聞いて、御座んなれ二本棒ども、とでも思つたらう。財布の大きいものが、博奕はきつと勝つと定まつては居ないのだ。何程の事かあらん、一[#(ト)]当てあてゝやれと、此方《こちら》からも下野境まで兵を出したが、如何さま敵は大軍で、地も動き草も靡《なび》くばかりの勢堂※[#二の字点、1−2−22]と攻めて来た。良兼の軍は馬も肥え人も勇み、鎧《よろひ》の毛もあざやかに、旗指物もいさぎよく、弓矢、刀|薙刀《なぎなた》、いづれ美※[#二の字点、1−2−22]しく、掻楯《かいだて》ひし/\と垣の如く築《つ》き立てゝ、勢ひ猛に壮《さか》んに見えた。将門の軍は二度の戦に甲冑《かつちう》も摺《す》れ、兵具《ひやうぐ》も十二分ならず、人数も薄く寒げに見えた。譬《たと》へば敵の毛羽艶やかに峨冠《がくわん》紅に聳《そび》えたる鶏の如く、此方《こなた》は見苦しき羽抜鳥の肩そぼろに胸|露《あら》はに貧しげなるが如くであつたが、戦つて見ると羽ふくよかなる地鶏は生命知らずの軍鶏《しやも》の敵では無かつた。将門の手下の勇士等は忽《たちま》ちに風の木の葉と敵を打払つた。良兼の勢は先を争つて逃げる、将門は鞭を揚げ名を呼《よば》はつて勢に乗つて吶喊《とつかん》し駆け崩した。敵はきたなくも下野の府に閉塞されてしまつた。こゝで将門が刻毒に
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