噂《うわさ》にまで先走りて若い者は駒《こま》と共に元気|付《づき》て来る中に、さりとてはあるまじき鬱《ふさ》ぎ様《よう》。此《この》跡ががらりと早変りして、さても/\和御寮《わごりょ》は踊る振《ふり》が見たいか、踊る振が見たくば、木曾路に御座れのなど狂乱の大陽気《おおようき》にでも成《なら》れまい者でもなしと亀屋《かめや》の爺《おやじ》心配し、泣くな泣きゃるな浮世は車、大八の片輪《かたわ》田の中に踏込んだ様《よう》にじっとして、くよ/\して居るよりは外をあるいて見たら又どんな女に廻《めぐ》り合《あう》かもしれぬ、目印の柳の下で平常《ふだん》魚は釣《つ》れぬ代り、思いよらぬ蛤《はまぐり》の吸物から真珠を拾い出すと云う諺《ことわざ》があるわ、腹を広く持て、コレ若いの、恋は他《ほか》にもある者を、と詞《ことば》おかしく、兀頭《はげあたま》の脳漿《のうみそ》から天保度《てんぽうど》の浮気論主意書《うわきろんしゅいがき》という所を引抽《ひきぬ》き、黴《かび》の生《はえ》た駄洒落《だじゃれ》を熨斗《のし》に添《そえ》て度々進呈すれど少しも取り容《い》れず、随分面白く異見を饒舌《しゃべ》っても、却《かえ》って珠運が溜息《ためいき》の合《あい》の手の如《ごと》くなり、是では行かぬと本調子整々堂々、真面目《まじめ》に理屈《りくつ》しんなり諄々《くどくど》と説諭すれば、不思議やさしも温順《おとなし》き人、何にじれてか大薩摩《おおざつま》ばりばりと語気|烈《はげ》しく、要《い》らざる御心配無用なりうるさしと一トまくりにやりつけられ敗走せしが、関《かま》わず置《おけ》ば当世|時花《はや》らぬ恋の病になるは必定、如何《どう》にかして助けてやりたいが、ハテ難物じゃ、それとも寧《いっそ》、経帷子《きょうかたびら》で吾家《わがや》を出立《しゅったつ》するようにならぬ内|追払《おっぱら》おうか、さりとては忍び難し、なまじお辰と婚姻を勧めなかったら兎《と》も角《かく》も、我口《わがくち》から事|仕出《しいだ》した上は我《わが》分別で結局《つまり》を付《つけ》ねば吉兵衛も男ならずと工夫したるはめでたき気象《きしょう》ぞかし。年《とし》は老《と》るべきもの流石《さすが》古兵《ふるつわもの》の斥候《ものみ》虚実の見所誤らず畢竟《ひっきょう》手に仕業《しわざ》なければこそ余計な心が働きて苦《くるし》む者なるべしと考えつき、或日《あるひ》珠運に向って、此日本一果報男め、聞玉《ききたま》え我昨夜の夢に、金襖《きんぶすま》立派なる御殿の中《うち》、眼《め》もあやなる美しき衣裳《いしょう》着たる御姫様床の間に向って何やらせらるゝ其《その》鬢付《びんつき》襟足《えりあし》のしおらしさ、後《うしろ》からかぶりついてやりたき程、もう二十年若くば唯《ただ》は置《おけ》ぬ品物めと腰は曲っても色に忍び足、そろ/\と伺いより椽側《えんがわ》に片手つきてそっと横顔拝めば、驚《おどろい》たりお辰、花漬売に百倍の奇麗をなして、殊更|憂《うれい》を含む工合《ぐあい》凄味《すごみ》あるに総毛立《そうけだち》ながら尚《なお》能《よ》くそこら見廻《みまわ》せば、床に掛《かけ》られたる一軸|誰《たれ》あろうおまえの姿絵|故《ゆえ》少し妬《ねた》くなって一念の無明《むみょう》萌《きざ》す途端、椽の下から顕《あらわ》れ出《いで》たる八百八狐《はっぴゃくやぎつね》付添《つきそい》て己[#「己」は底本では「已」]《おれ》の踵《かかと》を覗《ねら》うから、此奴《こやつ》たまらぬと迯出《にげだ》す後《うしろ》から諏訪法性《すわほっしょう》の冑《かぶと》だか、粟《あわ》八升も入る紙袋《かんぶくろ》だかをスポリと被《かぶ》せられ、方角さらに分らねば頻《しきり》と眼玉を溌々《ぱちぱち》したらば、夜具の袖《そで》に首を突込《つっこ》んで居たりけりさ、今の世の勝頼《かつより》さま、チト御驕《おおご》りなされ、アハヽヽと笑い転《ころ》げて其儘《そのまま》坐敷《ざしき》をすべり出《いで》しが、跡は却《かえっ》て弥《いや》寂《さび》しく、今の話にいとゞ恋しさまさりて、其事《そのこと》彼事《かのこと》寂然《じゃくねん》と柱に※[#「憑」の「心」に代えて「几」、第4水準2−3−20]《もた》れながら思ううち、瞼《まぶた》自然とふさぐ時あり/\とお辰の姿、やれまてと手を伸《のば》して裙《すそ》捉《とら》えんとするを、果敢《はか》なや、幻の空に消えて遺《のこ》るは恨《うらみ》許《ばか》り、爰《ここ》にせめては其|面影《おもかげ》現《うつつ》に止《とど》めんと思いたち、亀屋の亭主《ていしゅ》に心|添《そえ》られたるとは知らで自《みずから》善事《よきこと》考え出《いだ》せし様《よう》に吉兵衛に相談すれば、さて無理ならぬ望み、閑静なる一間《ひとま》欲《ほ》しとならばお辰|住居《すまい》たる家|尚《なお》能《よか》らん、畳さえ敷けば細工部屋にして精々《せいぜい》一ト月位|住《すま》うには不足なかるべし、ナニ話に来るは謝絶《ことわる》と云わるゝか、それも承知しました、それならば食事を賄《まかな》うより外に人を通わせぬよう致しますか、然《しか》し余り牢住居《ろうずまい》の様《よう》ではないか、ムヽ勝手とならば仕方がない、新聞|丈《だ》けは節々《せつせつ》上《あげ》ましょう、ハテ要《い》らぬとは悪い合点《がてん》、気の尽《つき》た折は是非世間の面白|可笑《おかし》いありさまを見るがよいと、万事親切に世話して、珠運が笑《えま》し気《げ》に恋人の住《すみ》し跡に移るを満足せしが、困りしは立像刻む程の大きなる良《よき》木なく百方|索《さが》したれど見当らねば厚き檜《ひのき》の大きなる古板を与えぬ。
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    第九 如是果《にょぜか》

      上 既《すで》に仏体《ぶったい》を作りて未得《みとく》安心《あんしん》

 勇猛《ゆうみょう》精進潔斎怠らず、南無帰命頂礼《なむきみょうちょうらい》と真心を凝《こら》し肝胆《かんたん》を砕きて三拝|一鑿《いっさく》九拝一刀、刻み出《いだ》せし木像あり難や三十二|相《そう》円満の当体《とうたい》即仏《そくぶつ》、御利益《ごりやく》疑《うたがい》なしと腥《なまぐさ》き和尚様《おしょうさま》語られしが、さりとは浅い詮索《せんさく》、優鈿《うでん》大王《だいおう》とか饂飩《うどん》大王《だいおう》とやらに頼まれての仕事《しわざ》、仏師もやり損じては大変と額に汗流れ、眼中に木片《ききれ》の飛込《とびこむ》も構わず、恐れ惶《かしこ》みてこそ作りたれ、恭敬三昧《きょうけいざんまい》の嬉《うれし》き者ならぬは、御本尊様の前の朝暮《ちょうぼ》の看経《かんきん》には草臥《くたびれ》を喞《かこ》たれながら、大黒《だいこく》の傍《そば》に下らぬ雑談《ぞうだん》には夜の更《ふく》るをも厭《いと》い玉わざるにても知るべしと、評せしは両親を寺参りさせおき、鬼の留守に洗濯する命じゃ、石鹸《シャボン》玉|泡沫《ほうまつ》夢幻《むげん》の世に楽を為《せ》では損と帳場の金を攫《つか》み出して御歯涅《おはぐろ》溝《どぶ》の水と流す息子なりしとかや。珠運《しゅうん》は段々と平面板《ひらいた》に彫浮《ほりうか》べるお辰《たつ》の像、元より誰《たれ》に頼まれしにもあらねば細工料取らんとにもあらず、唯《ただ》恋しさに余りての業、一刀《いっとう》削《けずり》ては暫《しばら》く茫然《ぼうぜん》と眼《め》を瞑《ふさ》げば花漬《はなづけ》めせと矯音《きょうおん》を洩《もら》す口元の愛らしき工合《ぐあい》、オヽそれ/\と影を促《とら》えて再《また》一《ひ》ト刀《かたな》、一ト鑿《のみ》突いては跡ずさりして眺《なが》めながら、幾日の恩愛|扶《たす》けられたり扶けたり、熱に汗蒸れ垢《あか》臭き身体《からだ》を嫌《いや》な様子なく柔《やさ》しき手して介抱し呉《くれ》たる嬉しさ今は風前の雲と消えて、思《おもい》は徒《いたずら》に都の空に馳《は》する事悲しく、なまじ最初お辰の難を助けて此家《このいえ》を出し其折《そのおり》、留《とど》められたる袖《そで》思い切《きっ》て振払いしならばかくまでの切なる苦《くるしみ》とはなるまじき者をと、恋しを恨む恋の愚痴、吾《われ》から吾を弁《わきま》え難く、恍惚《うっとり》とする所へ著《あらわ》るゝお辰の姿、眉付《まゆつき》媚《なまめ》かしく生々《いきいき》として睛《ひとみ》、何の情《じょう》を含みてか吾《わが》与《あた》えし櫛《くし》にジッと見とれ居る美しさ、アヽ此処《ここ》なりと幻像《まぼろし》を写して再《また》一鑿《ひとのみ》、漸《ようや》く二十日を越えて最初の意匠誤らず、花漬売の時の襤褸《つづれ》をも著《き》せねば子爵令嬢の錦をも着せず、梅桃桜菊色々の花綴衣《はなつづりぎぬ》麗しく引纏《ひきまとわ》せたる全身像|惚《ほれ》た眼からは観音の化身《けしん》かとも見れば誰《たれ》に遠慮なく後光輪《ごこう》まで付《つけ》て、天女の如《ごと》く見事に出来上り、吾《われ》ながら満足して眷々《ほれぼれ》とながめ暮《くら》せしが、其夜の夢に逢瀬《おうせ》平常《いつも》より嬉しく、胸あり丈《た》ケの口説《くぜつ》濃《こまやか》に、恋|知《しら》ざりし珠運を煩悩《ぼんのう》の深水《ふかみ》へ導きし笑窪《えくぼ》憎しと云えば、可愛《かわゆ》がられて喜ぶは浅し、方様《かたさま》に口惜しい程憎まれてこそ誓文《せいもん》移り気ならぬ真実を命|打込《うちこ》んで御見せ申《もうし》たけれ。扨《さて》は迷惑、一生|可愛《かわゆ》がって居様《いよう》と思う男に。アレ嘘《うそ》、後先|揃《そろ》わぬ御言葉、どうでも殿御は口上手と、締りなく睨《にら》んで打《ぶ》つ真似にちょいとあぐる、繊麗《きゃしゃ》な手首|緊《しっか》りと捉《とらえ》て柔《やわらか》に握りながら。打《ぶた》るゝ程憎まれてこそ誓文《せいもん》命|掛《かけ》て移り気ならぬ真実をと早速の鸚鵡《おうむ》返し、流石《さすが》は可笑《おか》しくお辰笑いかけて、身を縮め声低く、此《この》手を。離さぬが悪いか。ハイ。これは/\く大きに失礼と其儘《そのまま》離してひぞる真面目《まじめ》顔を、心配相に横から覗《のぞ》き込めば見られてすまし難《がた》く其眼を邪見に蓋《ふた》せんとする平手、それを握りて、離さぬが悪いかと男詞《おとこことば》、後《あと》は協音《きょうおん》の笑《わらい》計《ばか》り残る睦《むつま》じき中に、娘々《むすめむすめ》と子爵の※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]声《さびごえ》。目《め》覚《さむ》れば昨宵《ゆうべ》明放《あけはな》した窓を掠《かす》めて飛ぶ烏《からす》、憎や彼奴《あれめ》が鳴いたのかと腹立《はらだた》しさに振向く途端、彫像のお辰夢中の人には遙《はるか》劣りて身を掩《おお》う数々の花うるさく、何処《どこ》の唐草《からくさ》の精霊《ばけもの》かと嫌《いや》になったる心には悪口も浮《うか》み来《きた》るに、今は何を着すべしとも思い出《いだ》せず工夫錬り練り刀を礪《と》ぎぬ。

      下 堅く妄想《もうそう》を捏《でつ》して自覚|妙諦《みょうたい》

 腕を隠せし花一輪削り二輪削り、自己《おの》が意匠の飾《かざり》を捨て人の天真の美を露《あら》わさんと勤めたる甲斐《かい》ありて、なまじ着せたる花衣|脱《ぬが》するだけ面白し。終《つい》に肩のあたり頸筋《くびすじ》のあたり、梅も桜も此《この》君の肉付《にくづき》の美しきを蔽《おお》いて誇るべき程の美しさあるべきやと截《た》ち落《おと》し切り落し、むっちりとして愛らしき乳首、是《これ》を隠す菊の花、香も無き癖《くせ》に小癪《こしゃく》なりきと刀|急《せわ》しく是も取って払い、可笑《おかし》や珠運《しゅうん》自ら為《し》たる業《わざ》をお辰《たつ》の仇《あだ》が為《し》たる事の様《よう》に憎み今刻み出《いだ》す裸体《はだかみ》も想像の一塊《いっかい》なるを実在《まこと》の様に思えば、愈々《いよいよ》昨日は愚《おろか》なり
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