其《その》昔拝んだ旭日《あさひ》の美しきを悟り、巴里《パリー》に住んでから沢庵《たくあん》の味を知るよし。珠運は立鳥《たつとり》の跡ふりむかず、一里あるいた頃《ころ》不図《ふと》思い出し、二里あるいた頃珠運様と呼ぶ声、まさしく其人《そのひと》と後《うしろ》見れば何もなし、三里あるいた頃、もしえと袂《たもと》取る様子、慥《たしか》にお辰と見れば又人も居《お》らず、四里あるき、五里六里行き、段々遠くなるに連れて迷う事多く、遂《つい》には其顔見たくなりて寧《いっそ》帰ろうかと一《ひ》ト足|後《あと》へ、ドッコイと一二|町《ちょう》進む内、むか/\と其声|聞度《ききたく》て身体《からだ》の向《むき》を思わずくるりと易《かゆ》る途端|道傍《みちばた》の石地蔵を見て奈良よ/\誤ったりと一町たらずあるく向《むこう》より来る夫婦|連《づれ》の、何事か面白相に語らい行くに我もお辰と会話《はなし》仕度《したく》なって心なく一間《いっけん》許《ばか》り戻《もど》りしを、愚《おろか》なりと悟って半町歩めば我しらず迷《まよい》に三間もどり、十足《とあし》あるけば四足《よあし》戻りて、果《はて》は片足進みて片足戻る程のおかしさ、自分ながら訳も分らず、名物|栗《くり》の強飯《こわめし》売《うる》家《いえ》の牀几《しょうぎ》に腰|打掛《うちかけ》てまず/\と案じ始めけるが、箒木《ははきぎ》は山の中にも胸の中にも、有無分明《うむぶんみょう》に定まらず、此処《ここ》言文一致家に頼みたし。

      下 若木《わかき》三寸で螻《けら》蟻《あり》に害《そこの》う

 世の中に病《やまい》ちょう者なかりせば男心のやさしかるまじ。髭先《ひげさき》のはねあがりたる当世才子、高慢の鼻をつまみ眼鏡《めがね》ゆゝしく、父母干渉の弊害を説《とき》まくりて御異見の口に封蝋《ふうろう》付玉《つけたま》いしを一日粗造のブランディに腸|加答児《カタル》起して閉口|頓首《とんしゅ》の折柄、昔風の思い付、気に入らぬか知らぬが片栗湯《かたくりゆ》こしらえた、食《たべ》て見る気はないかと厚き介抱《かいほう》有難く、へこたれたる腹にお母《ふくろ》の愛情を呑《のん》で知り、是《これ》より三十銭の安西洋料理食う時もケーク丈《だけ》はポッケットに入れて土産《みやげ》となす様になる者ぞ、ゆめ/\美妙なる天の配剤に不足|云《い》うべからずと或人《あるひと》仰せられしは尤《もっとも》なりけり。珠運《しゅうん》馬籠《まごめ》に寒あたりして熱となり旅路の心細く二日|計《ばか》り苦《くるし》む所へ吉兵衛とお辰《たつ》尋ね来《きた》り様々の骨折り、病のよき汐《しお》を見計らいて駕籠《かご》安泰に亀屋《かめや》へ引取り、夜の間も寐ずに美人の看病、藪《やぶ》医者の薬も瑠璃光薬師《るりこうやくし》より尊き善女《ぜんにょ》の手に持たせ玉える茶碗《ちゃわん》にて呑《の》まさるれば何|利《きか》ざるべき、追々《おいおい》快方に赴き、初めてお辰は我身の為《ため》にあらゆる神々に色々の禁物《たちもの》までして平癒せしめ玉えと祷《いの》りし事まで知りて涙|湧《わ》く程|嬉《うれ》しく、一《ひ》ト月あまりに衰《おとろえ》こそしたれ、床を離れて其《その》祝義《しゅうぎ》済みし後、珠運思い切ってお辰の手を取り一間《ひとま》の中《うち》に入り何事をか長らく語らいけん、出《いず》る時女の耳の根《ね》紅《あか》かりし。其翌日男|真面目《まじめ》に媒妁《なこうど》を頼めば吉兵衛笑って牛の鞦《しりがい》と老人《としより》の云う事どうじゃ/\と云さして、元より其《その》支度《したく》大方は出来たり、善は急いで今宵《こよい》にすべし、不思議の因縁でおれの養女分にして嫁|入《いら》すればおれも一トつの善《よ》い功徳をする事ぞとホク/\喜び、忽《たちま》ち下女下男に、ソレ膳《ぜん》を出せ椀《わん》を出せ、アノ銚子《ちょうし》を出せ、なんだ貴様は蝶《ちょう》の折り様《よう》を知らぬかと甥子《おいご》まで叱《しか》り飛《とば》して騒ぐは田舎|気質《かたぎ》の義に進む所なり、かゝる中へ一人の男|来《きた》りてお辰様にと手紙を渡すを見ると斉《ひとし》くお辰あわただしく其男に連立《つれだち》て一寸《ちょっと》と出《いで》しが其まゝもどらず、晩方になりて時刻も来《きた》るに吉兵衛|焦躁《いらっ》て八方を駈廻《かけめぐ》り探索すれば同業の方《かた》に止《とま》り居し若き男と共に立去りしよし。牛の鞦《しりがい》爰《ここ》に外れてモウともギュウとも云うべき言葉なく、何と珠運に云い訳せん、さりとて猥褻《みだら》なる行《おこない》はお辰に限りて無《なか》りし者をと蜘手《くもで》に思い屈する時、先程の男|来《きた》りて再《また》渡す包物《つつみもの》、開《ひらき》て見れば、一筆啓上|仕《つかまつり》候《そうろう》未《いま》だ御意《ぎょい》を得ず候《そうら》え共お辰様身の上につき御|厚情《こうせい》相掛《あいかけ》られし事承り及びあり難く奉存候《ぞんじたてまつりそうろう》さて今日貴殿|御計《おんはからい》にてお辰婚姻取結ばせられ候由|驚入申《おどろきいりもうし》候|仔細《しさい》之《これ》あり御辰様儀婚姻には私|方《かた》故障御座候故従来の御礼|旁《かたがた》罷《まか》り出て相止申《あいとめもうす》べくとも存《ぞんい》候え共《ども》如何《いか》にも場合切迫致し居《お》り且《かつ》はお辰様心底によりては私一存にも参り難《がたく》候|様《よう》の義に至り候ては迷惑に付《つき》甚《はなは》だ唐突不敬なれども実はお辰様を賺《すか》し申し此《この》婚姻|相延《あいのべ》申候よう決行致し候|尚《なお》又《また》近日参上|仕《つかまつ》り入り込《こみ》たる御話し委細|申上《もうしあぐ》べく心得に候え共《ども》差当り先日七蔵に渡され候金百円及び御礼の印までに金百円進上しおき候|間《あいだ》御受納下され度《たく》候|不悉《ふしつ》 亀屋吉兵衛様へ岩沼子爵|家従《けらい》田原栄作《たはらえいさく》とありて末書に珠運様とやらにも此旨《このむね》御|鶴声《かくせい》相伝《あいつたえ》られたく候と筆を止《とど》めたるに加えて二百円何だ紙なり。
[#改ページ]

    第七 如是報《にょぜほう》

      我は飛《とび》来《き》ぬ他化自在天宮《たけじざいてんぐう》に

 オヽお辰《たつ》かと抱き付かれたる御方《おかた》、見れば髯《ひげ》うるわしく面《おもて》清く衣裳《いしょう》立派なる人。ハテ何処《どこ》にてか会いたる様《よう》なと思いながら身を縮まして恐々《おそるおそる》振り仰ぐ顔に落来《おちく》る其《その》人の涙の熱さ、骨に徹して、アヽ五日前一生の晴の化粧と鏡に向うた折会うたる我に少しも違わず扨《さて》は父様《ととさま》かと早く悟りてすがる少女《おとめ》の利発さ、是《これ》にも室香《むろか》が名残の風情《ふぜい》忍ばれて心強き子爵も、二十年のむかし、御機嫌《ごきげん》よろしゅうと言葉|後《じり》力なく送られし時、跡ふりむきて今|一言《ひとこと》交《かわ》したかりしを邪見に唇|囓切《かみしめ》て女々《めめ》しからぬ風《ふり》誰《たが》為《ため》にか粧《よそお》い、急がでもよき足わざと早めながら、後《うしろ》見られぬ眼《め》を恨《うら》みし別離《わかれ》の様まで胸に浮《うか》びて切《せつ》なく、娘、ゆるしてくれ、今までそなたに苦労させたは我《わが》誤り、もう是からは花も売《うら》せぬ、襤褸《つづれ》も着せぬ、荒き風を其《その》身体《からだ》にもあてさせぬ、定めしおれの所業《しわざ》をば不審もして居たろうがまあ聞け、手前の母に別れてから二三日の間実は張り詰《つめ》た心も恋には緩《ゆる》んで、夜深《よふか》に一人月を詠《なが》めては人しらぬ露|窄《せま》き袖《そで》にあまる陣頭の淋《さび》しさ、又は総軍の鹿島立《かしまだち》に馬蹄《ばてい》の音高く朝霧を蹴《け》って勇ましく進むにも刀の鐺《こじり》引《ひ》かるゝように心たゆたいしが、一封の手簡《てがみ》書く間もなきいそがしき中、次第に去る者の疎《うと》くなりしも情合《じょうあい》の薄いからではなし、軍事の烈《はげ》しさ江戸に乗り込んで足溜《あしだま》りもせず、奥州《おうしゅう》まで直押《ひたおし》に推す程の勢《いきおい》、自然と焔硝《えんしょう》の煙に馴《なれ》ては白粉《おしろい》の薫《かお》り思い出《いだ》さず喇叭《らっぱ》の響に夢を破れば吾妹子《わぎもこ》が寝くたれ髪の婀娜《あだ》めくも眼前《めさき》にちらつく暇《いとま》なく、恋も命も共に忘れて敗軍の無念には励《はげ》み、凱歌《かちどき》の鋭気には乗じ、明《あけ》ても暮《くれ》ても肘《ひじ》を擦《さす》り肝《きも》を焦がし、饑《うえ》ては敵の肉に食《くら》い、渇しては敵の血を飲まんとするまで修羅《しゅら》の巷《ちまた》に阿修羅《あしゅら》となって働けば、功名|一《ひ》トつあらわれ二ツあらわれて総督の御覚《おんおぼ》えめでたく追々《おいおい》の出世、一方の指揮となれば其任|愈《いよいよ》重く、必死に勤めけるが仕合《しあわせ》に弾丸《たま》をも受けず皆々|凱陣《がいじん》の暁、其方《そのほう》器量学問見所あり、何某《なにがし》大使に従って外国に行き何々の制度|能々《よくよく》取調べ帰朝せば重く挙《あげ》用《もちい》らるべしとの事、室香に約束は違《たが》えど大丈夫青雲の志|此時《このとき》伸《のぶ》べしと殊に血気の雀躍《こおどり》して喜び、米国より欧州に前後七年の長逗留《ながとうりゅう》、アヽ今頃《いまごろ》は如何《どう》して居おるか、生れた子は女か、男か、知らぬ顔に、知られぬ顔、早く頬摺《ほおずり》して膝《ひざ》の上に乗せ取り、護謨《ゴム》人形空気鉄砲珍らしき手玩具《おもちゃ》数々の家苞《いえづと》に遣《や》って、喜ぶ様子見たき者と足をつま立《だ》て三階四階の高楼《たかどの》より日本の方角|徒《いたず》らに眺《ながめ》しも度々なりしが、岩沼卿《いわぬまきょう》と呼《よば》せらるる尊《たっと》き御身分の御方《おんかた》、是も御用にて欧州に御滞在中、数ならぬ我を見たて御子《おんこ》なき家の跡目に坐《すわ》れとのあり難き仰せ、再三|辞《いな》みたれど許されねば辞《いなみ》兼《かね》て承知し、共々|嬉《うれ》しく帰朝して我は軽《かろ》からぬ役を拝命する計《ばかり》か、終《つい》に姓を冒して人に尊まるゝに付《つい》てもそなたが母の室香が情《なさけ》何忘るべき、家来に吩附《いいつけ》て段々|糺《ただ》せば、果敢《はか》なや我と楽《たのしみ》は分《わ》けで、彼岸《かのきし》の人と聞くつらさ、何年の苦労一トつは国の為《ため》なれど、一トつは色紙《しきし》のあたった小袖《こそで》着て、塗《ぬり》の剥《はげ》た大小さした見所もなき我を思い込んで女の捨難《すてがた》き外見《みえ》を捨て、譏《そしり》を関《かま》わず危《あやう》きを厭《いと》わず、世を忍ぶ身を隠匿《かくまい》呉《く》れたる志、七生忘れられず、官軍に馳《はせ》参《さん》ぜんと、決心した我すら曇り声に云《い》い出《いだ》せし時も、愛情の涙は瞼《まぶた》に溢《あふ》れながら義理の詞《ことば》正しく、予《かね》ての御本望|妾《わたくし》めまで嬉《うれしゅ》う存じますと、無理な笑顔《えがお》も道理なれ明日知らぬ命の男、それを尚《なお》も大事にして余りに御髪《おぐし》のと髯《ひげ》月代《さかやき》人手にさせず、後《うしろ》に廻《まわ》りて元結《もとゆい》も〆力《しめちから》なき悲しさを奥歯に噛《か》んできり/\と見苦しからず結うて呉れたる計《ばかり》か、おのが頭《かしら》にさしたる金簪《きんかんざし》まで引抜き温《ぬく》みを添えて売ってのみ、我身のまわり調度にして玉《たま》わりし大事の/\女房に満足させて、昔の憂《う》きを楽《たのしみ》に語りたさの為《ため》なりしに、情無《なさけなく》も死なれては、花園《はなぞの》に牡丹《ぼたん》広々と麗《うるわ》しき眺望
前へ 次へ
全11ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング