唱歌も我に引き較《くら》べて絶ゆる事なく悲しきを、コロリン、チャンと済《すま》して貰《もら》い度《た》しと無慈悲の借金取めが朝に晩にの掛合《かけあい》、返答も力|無《な》や男松《おまつ》を離れし姫蔦《ひめづた》の、斯《こう》も世の風に嬲《なぶ》らるゝ者《もの》かと俯《うつむ》きて、横眼に交張《まぜば》りの、袋戸《ふくろど》に広重《ひろしげ》が絵見ながら、悔《くや》しいにつけゆかしさ忍ばれ、方様《かたさま》早う帰って下されと独言《ひとりごと》口を洩《も》るれば、利足《りそく》も払わず帰れとはよく云えた事と吠付《ほえつか》れ。アヽ大きな声して下さるな、あなたにも似合わぬと云いさして、御腹《おなか》には大事の/\我子《わがこ》ではない顔見ぬ先からいとしゅうてならぬ方様《かたさま》の紀念《かたみ》、唐土《もろこし》には胎教という事さえありてゆるがせならぬ者と或夜《あるよ》の物語りに聞しに此ありさまの口惜《くちおし》と腸《はらわた》を断つ苦しさ。天女も五衰《ごすい》ぞかし、玳瑁《たいまい》の櫛《くし》、真珠の根掛《ねがけ》いつか無くなりては華鬘《けまん》の美しかりける俤《おもかげ》とどまらず、身だしなみ懶《ものう》くて、光ると云われし色艶《いろつや》屈托《くったく》に曇り、好みの衣裳《いしょう》数々彼に取られ是《これ》に易《か》えては、着古しの平常衣《ふだんぎ》一つ、何の焼《たき》かけの霊香《れいきょう》薫ずべきか、泣き寄りの親身《しんみ》に一人の弟《おとと》は、有っても無きに劣《おと》る賭博《ばくち》好き酒好き、落魄《おちぶれ》て相談相手になるべきならねば頼むは親切な雇婆《やといばば》計《ばか》り、あじきなく暮らす中《うち》月|満《みち》て産声《うぶごえ》美《うるわ》しく玉のような女の子、辰《たつ》と名|付《づけ》られしはあの花漬《はなづけ》売りなりと、是《これ》も昔は伊勢《いせ》参宮の御利益《ごりやく》に粋《すい》という事覚えられしらしき宿屋の親爺《おやじ》が物語に珠運も木像ならず、涙|掃《はら》って其後《そののち》を問えば、御待《おまち》なされ、話しの調子に乗って居る内、炉の火が淋《さみ》しゅうなりました。
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第三 如是性《にょぜしょう》
上 母は嵐《あらし》に香《か》の迸《はし》る梅
山家《やまが》の御馳走《ごちそう》は何処《いずく》も豆腐|湯波《ゆば》干鮭《からざけ》計《ばか》りなるが今宵《こよい》はあなたが態々《わざわざ》茶の間に御出掛《おでかけ》にて開化の若い方には珍らしく此《この》兀爺《はげじい》の話を冒頭《あたま》から潰《つぶ》さずに御聞《おきき》なさるが快ければ、夜長の折柄《おりから》お辰《たつ》の物語を御馳走に饒舌《しゃべり》りましょう、残念なは去年ならばもう少し面白くあわれに申し上《あげ》て軽薄《けいはく》な京の人イヤ是《これ》は失礼、やさしい京の御方《おかた》の涙を木曾《きそ》に落さ落《おと》させよう者を惜しい事には前歯一本欠けた所《とこ》から風が洩《も》れて此春以来|御文章《おふみさま》を読《よむ》も下手になったと、菩提所《ぼだいしょ》の和尚《おしょう》様に云《い》われた程なれば、ウガチとかコガシとか申す者は空抜《うろぬき》にしてと断りながら、青内寺《せいないじ》煙草《たばこ》二三服|馬士《まご》張《ば》りの煙管《きせる》にてスパリ/\と長閑《のどか》に吸い無遠慮に榾《ほだ》さし焼《く》べて舞い立つ灰の雪袴《ゆきんばかま》に落ち来《きた》るをぽんと擲《はた》きつ、どうも私幼少から読本《よみほん》を好きました故《ゆえ》か、斯《こう》いう話を致しますると図に乗っておかしな調子になるそうで、人我《にんが》の差別《しゃべつ》も分り憎くなると孫共《まごども》に毎度笑われまするが御聞《おきき》づらくも癖ならば癖ぞと御免《おゆるし》なされ。さてもそののち室香《むろか》はお辰を可愛《かわゆ》しと思うより、情《じょう》には鋭き女の勇気をふり起して昔取ったる三味《しゃみ》の撥《ばち》、再び握っても色里の往来して白痴《こけ》の大尽、生《なま》な通人《つうじん》めらが間《あい》の周旋《とりもち》、浮《うか》れ車座のまわりをよくする油さし商売は嫌《いや》なりと、此度《このたび》は象牙《ぞうげ》を柊《ひいらぎ》に易《か》えて児供《こども》を相手の音曲《おんぎょく》指南《しなん》、芸は素《もと》より鍛錬を積《つみ》たり、品行《みもち》は淫《みだら》ならず、且《かつ》は我子《わがこ》を育てんという気の張《はり》あればおのずから弟子にも親切あつく良い御師匠《おししょう》様と世に用いられて爰《ここ》に生計《くらし》の糸道も明き細いながら炊煙《けむり》絶《たえ》せず安らかに日は送れど、稽古《けいこ》する小娘が調子外れの金切声《かなきりごえ》今も昔わーワッとお辰のなき立つ事の屡《しばしば》なるに胸苦しく、苦労ある身の乳も不足なれば思い切って近き所へ里子にやり必死となりて稼《かせ》ぐありさま余所《よそ》の眼《め》さえ是《これ》を見て感心なと泣きぬ。それにつれなきは方様《かたさま》の其後《そののち》何の便《たより》もなく、手紙出そうにも当所《あてどころ》分らず、まさかに親子|笈《おい》づるかけて順礼にも出られねば逢《あ》う事は夢に計《ばか》り、覚めて考うれば口をきかれなかったはもしや流丸《それだま》にでも中《あた》られて亡くなられたか、茶絶《ちゃだち》塩絶《しおだち》きっとして祈るを御存知ない筈《はず》も無かろうに、神様も恋しらずならあり難くなしと愚痴と一所《いっしょ》にこぼるゝ涙流れて止《とどま》らぬ月日をいつも/\憂いに明《あか》し恨《うらみ》に暮らして我《わが》齢《とし》の寄るは知ねども、早い者お辰はちょろ/\歩行《あるき》、折ふしは里親と共に来てまわらぬ舌に菓子ねだる口元、いとしや方様に生き写しと抱き寄せて放し難く、遂《つい》に三歳《みっつ》の秋より引き取って膝下《ひざもと》に育《そだつ》れば、少しは紛《まぎ》れて貧家に温《ぬく》き太陽《ひ》のあたる如《ごと》く淋《さび》しき中にも貴き笑《わらい》の唇に動きしが、さりとては此子《このこ》の愛らしきを見様《みよう》とも仕玉《したま》わざるか帰家《かえら》れざるつれなさ、子供心にも親は恋しければこそ、父様《ととさま》御帰りになった時は斯《こう》して為《す》る者ぞと教えし御辞誼《おじぎ》の仕様《しよう》能《よ》く覚えて、起居《たちい》動作《ふるまい》のしとやかさ、能《よ》く仕付《しつけ》たと誉《ほめ》らるゝ日を待《まち》て居るに、何処《どこ》の竜宮《りゅうぐう》へ行かれて乙姫《おとひめ》の傍《そば》にでも居《お》らるゝ事ぞと、少しは邪推の悋気《りんき》萌《きざ》すも我を忘れられしより子を忘れられし所には起る事、正しき女にも切なき情《じょう》なるに、天道怪しくも是《これ》を恵まず。運は賽《さい》の眼の出所《でどころ》分らぬ者にてお辰の叔父《おじ》ぶんなげの七《しち》と諢名《あだな》取りし蕩楽者《どうらくもの》、男は好《よ》けれど根性図太く誰《たれ》にも彼にも疎《うと》まれて大の字に寝たとて一坪には足らぬ小さき身を、広き都に置きかね漂泊《ただよい》あるきの渡り大工、段々と美濃路《みのじ》を歴《へ》て信濃《しなの》に来《きた》り、折しも須原《すはら》の長者何がしの隠居所作る手伝い柱を削れ羽目板を付《つけ》ろと棟梁《とうりょう》の差図《さしず》には従えど、墨縄《すみなわ》の直《すぐ》なには傚《なら》わぬ横道《おうどう》、お吉《きち》様と呼ばせらるゝ秘蔵の嬢様にやさしげな濡《ぬれ》を仕掛け、鉋屑《かんなくず》に墨さし思《おもい》を云《い》わせでもしたるか、とう/\そゝのかしてとんでもなき穴掘り仕事、それも縁なら是非なしと愛に暗《くら》んで男の性質も見《み》分《わけ》ぬ長者のえせ粋《すい》三国一の狼婿《おおかみむこ》、取って安堵《あんど》したと知らぬが仏様に其年《そのとし》なられし跡は、山林|家《いえ》蔵《くら》椽《えん》の下の糠味噌瓶《ぬかみそがめ》まで譲り受けて村|中《じゅう》寄り合いの席に肩《かた》ぎしつかせての正坐《しょうざ》、片腹痛き世や。あわれ室香《むろか》はむら雲迷い野分《のわけ》吹く頃《ころ》、少しの風邪に冒されてより枕《まくら》あがらず、秋の夜|冷《ひややか》に虫の音遠ざかり行くも観念の友となって独り寝覚《ねざめ》の床淋しく、自ら露霜のやがて消《きえ》ぬべきを悟り、お辰|素性《すじょう》のあらまし慄《ふる》う筆のにじむ墨に覚束《おぼつか》なく認《したた》めて守り袋に父が書き捨《すて》の短冊《たんざく》一《ひ》トひらと共に蔵《おさ》めやりて、明日をもしれぬ我《わ》がなき後頼りなき此子《このこ》、如何《いか》なる境界に落《おつ》るとも加茂《かも》の明神も御憐愍《ごれんみん》あれ、其人《そのひと》命あらば巡《めぐ》り合《あわ》せ玉いて、芸子《げいこ》も女なりやさしき心入れ嬉《うれ》しかりきと、方様の一言《ひとこと》を草葉の蔭《かげ》に聞《きか》せ玉えと、遙拝《ようはい》して閉じたる眼をひらけば、燈火《ともしび》僅《わずか》に蛍《ほたる》の如く、弱き光りの下《もと》に何の夢見て居るか罪のなき寝顔、せめてもう十《とお》計りも大きゅうして銀杏《いちょう》髷《まげ》結わしてから死にたしと袖《そで》を噛《か》みて忍び泣く時お辰|魘《おそ》われてアッと声立て、母様《かかさま》痛いよ/\坊《ぼう》の父様《ととさま》はまだ帰《か》えらないかえ、源《げん》ちゃんが打《ぶ》つから痛いよ、父《とと》の無いのは犬の子だってぶつから痛いよ。オヽ道理《もっとも》じゃと抱き寄すれば其《その》儘《まま》すや/\と睡《ねむ》るいじらしさ、アヽ死なれぬ身の疾病《やまい》、是《これ》ほどなさけなき者あろうか。
下 子は岩蔭《いわかげ》に咽《むせ》ぶ清水《しみず》よ
格子戸《こうしど》がら/\とあけて閉《しめ》る音は静《しずか》なり。七蔵《しちぞう》衣装《いしょう》立派に着飾りて顔付高慢くさく、無沙汰《ぶさた》謝《わび》るにはあらで誇り気《げ》に今の身となりし本末を語り、女房《にょうぼう》に都見物|致《いた》させかた/″\御近付《おちかづき》に連《つれ》て参ったと鷹風《おおふう》なる言葉の尾につきて、下ぐる頭《かしら》低くしとやかに。妾《わたくし》めは吉《きち》と申す不束《ふつつか》な田舎者、仕合《しあわ》せに御縁の端に続《つな》がりました上は何卒《なにとぞ》末長く御眼《おめ》かけられて御不勝《ごふしょう》ながら真実《しんみ》の妹とも思《おぼ》しめされて下さりませと、演《のぶ》る口上に樸厚《すなお》なる山家《やまが》育ちのたのもしき所見えて室香《むろか》嬉敷《うれしく》、重き頭《かしら》をあげてよき程に挨拶《あいさつ》すれば、女心の柔《やわらか》なる情《なさけ》ふかく。姉様《あねさま》の是《これ》ほどの御病気、殊更《ことさら》御幼少《おちいさい》のもあるを他人任せにして置きまして祇園《ぎおん》清水《きよみず》金銀閣見たりとて何の面白かるべき、妾《わたし》は是《これ》より御傍《おそば》さらず[#「ず」は底本では「す」]御看病致しましょと云《い》えば七蔵|顔《つら》膨《ふく》らかし、腹の中《うち》には余計なと思い乍《なが》ら、ならぬとも云い難く、それならば家も狭しおれ丈《だ》ケは旅宿に帰るべしといって其《その》晩は夜食の膳《ぜん》の上、一酌《いっしゃく》の酔《よい》に浮《うか》れてそゞろあるき、鼻歌に酒の香《か》を吐き、川風寒き千鳥足、乱れてぽんと町か川端《かわばた》あたりに止《とど》まりし事あさまし。室香はお吉に逢《あ》いてより三日目、我子《わがこ》を委《ゆだ》ぬる処《ところ》を得て気も休まり、爰《ここ》ぞ天の恵み、臨終|正念《しょうねん》たがわず、安《やすら》かなる大往生、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》は嬌喉《きょうこう》に粋《すい》の果《はて》を送り三重《さんじ
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