》せんとしたのを助けたる氷六《ひょうろく》だの、棄児《すてご》をした現八の父の糠助《ぬかすけ》だの、浜路《はまじ》の縁談を取持った軍木五倍二《ぬるでごばいじ》だの、押かけ聟の簸上宮六《ひかみきゅうろく》だの、浜路の父|蟇六《ひきろく》だの母の亀篠《かめささ》だの、数え立てますれば『八犬伝』一部中にもどの位居るか知れませぬが、これらの人物は他の人物と共にやはり例の過去というレースのかなたに居る人物であるにかかわらず、即ち馬琴の生存して居る当時の実社会とは遥かに隔たって居る時代の人物であるにかかわらず、その実はその当時の実社会の人物なのであります。言い換えますれば馬琴が作中のこれらの第三類の人物は大抵その当時に存在して居るところの人物なのであります。たとえば磯九郎という男は、勇者の随伴《とも》をして牛の闘を見にまいりますと、ふと恐ろしい強い牛が暴れ出しまして、人々がこれを取り押えることが出来ぬという場合、牛に向って来られたので是非なく勇者たる小文吾がその牛を取り挫《ひし》いで抑えつけます。そこで人々は恩を謝し徳をたたえて小文吾を饗応します。すると磯九郎は自分が大手柄でも仕《し》たように威張り散らして、頭を振り立てて種々の事を饒舌《しゃべ》り、終に酒に酔って管《くだ》を巻き大気焔を吐き、挙句には小文吾が辞退して取らぬ謝礼の十|貫文《かんもん》を独り合点で受け取って、いささか膂力のあるのを自慢に酔に乗じてその重いのを担ぎ出し、月夜に酔が醒め身が疲れて終に難にあうというのですが、いかにも下らない人間の下らなさ加減がさも有りそうに書けております。これは馬琴が人々の胸中から取り出し来った人物ではありません。けだし当時の実社会に生存して居たものを取り来ってその材料に使ったのであります。というものは、この磯九郎のような人間、――勿論すっかり同じであるというのではありませんが、殆どこの磯九郎のような人間は、常に当時の実社会と密接せんことを望みつつ著述に従事したところの式亭三馬の、その写実的の筆に酔客の馬鹿げた一痴態として上《のぼ》って居るのを見ても分ることで、そしてまた今日といえども実際私どもの目撃して居る人物中に、磯九郎如きものを見出すことの難《かた》くないことに徴《ちょう》しても明らかであります。ただ馬琴はかような人間を端役として使い、三馬やなぞは端役とせずに使うの差があるまでです。馬琴の小説中の端役の人間は、実に馬琴の同時代もしくは前後の、他の作者の作中には重要の位置を占める人物となって現われて居るのを見出すに難くありません。も一歩進めていって見れば、京伝や三馬や一九や春水は、常に馬琴が端役として冷遇した人物、即ちわずかに刷毛《はけ》ついでに書きなぐったような人物を叮嚀に取扱って、御客様にも本尊様にもして、そして一篇なり一部なりを成して居る傾きがあります。磯九郎ばかりではありません、例に挙げたから申しますが、身の苦しさに棄児をした糠助なんぞでも、他の作者ならばそれだけを主題にしても一部を為《な》すのであります。少しく小説の数をかけて読んだお方が、ちょっと瞑目して回想なさったらば、馬琴前後および近時の写実的傾向を帯びた小説等の主人公や副主人公や、事件の首脳なんどが、いかに多く馬琴の著《あら》わした小説中の枝葉の部分に見出さるるかという点には必ず御心づきになる事であろうと信じます。
『八犬伝』の中の左母二郎《さもじろう》などという男は、凡庸人物というよりもやや奸悪の方の人物でありますが、まさに馬琴の同時代に沢山生存して居たところの人物でありまして、それらの一種の色男がり、器用がり、人の機嫌を取ることが上手で、そして腹の中は不親切で、正直質朴な人を侮蔑して、自分は変な一種の高慢を有して居る人物を、馬琴がその照魔鏡に照して写し出したのであります。何故と申しますまでもありません、馬琴の前後の小説、――いわゆる当時の実社会をそのまま描写することを主とした、小説ともいえぬほど低微なものでありますが、それらの小説は描写が実社会の急所にあたってること、即ちウガチということを主として居るものであります。そのウガチを主な目的として居るところの著作数種を瞥見《べっけん》しますれば、左母二郎のような人間がしばしば描かれて居るのを発見するに難くないのでありますから、左母二郎のような型の人物の当時に少なくなかった事はおのずから分明であります。ただ馬琴は左母二郎の軽薄|※[#「にんべん+鐶のつくり」、356−6]巧《けんこう》で宜しくない者であることを示して居るに反して、他の片々たる作者輩は左母二郎を、意気で野暮でなくって、物がわかった、芸のある、婦人に愛さるべき資格を有して居る、宜しいものとして描いて居るのです。彼の芝居で演じます『籠《かご》つるべ』の主人公の佐野治郎左衛門《さのじろうざえもん》なぞという人物は、ちょうどこの左母二郎の正反対の人物に描いてありまして、正直な、無意気な、生野暮な男なのであります。しかるにその脚本にはその田舎くさい、正直なのを同情するよりは、嘲笑する気味がありありと現われて居ます。時代の風潮は左母二郎のようなのを愛して居るのであります。また、谷峨《こくが》という作者の書いたものや、振鷺亭《しんろてい》などという人の書いたものを見ますれば、左母二郎くさい、イヤな男が、むしろ讃称され敬愛される的となって篇中に現われて居るのを発見するのでありまして、谷峨の描きました五郎などという男を、引き伸ばしの写真機械にかけますれば、左母二郎になってしまわずには居ないような気が致します。
さて第二類の「悪の方の人物」はと申しますと、これはどうも実際社会に現存して居る人物の悪者を極端まで誇張して書いたような形跡があります。まさかに馬琴の書きましたほどの悪人が、その当時に存して居ったとは思えませぬが、さればとてそれは全く馬琴の空想ばかりで捏造したものではありません。ここに至りますと、半分は実社会の人物を種として、半分はそれに馬琴の該博な智識――おもに歴史から得来《えきた》った智識の衣を着せて、極端に誇張し、引き伸ばして、そして作り出したように考えられます。つまり悪の人物は、前に申しました第一第三の種類の人物の中間的に作り出されるかと思われますのです。ですからこれまた無論実社会と無関係没交渉では無いのであります。
これはひとり馬琴に限って論ずる訳ではありませんが、すべて仮作物語の作者と実社会との関係を観察しますと、極端に異なった類例が二種あるのであります。一つはその仮作物語と実社会と並行線なのであります。他の一つはその仮作物語と実社会と直角的に交叉線《こうさせん》をなして居る、――物語そのものは垂直線をなして居るのであります。並行線をなして居るのは、作者の思想や感情や趣味が当時の実社会と同じであるところより生じ、交叉線をなすのは作者の思想感情趣味が当時の実社会と異なるところより生ずるのであります。京伝だの三馬だの一九だのという人々は即ち並行線的作者で、その思想も感情も趣味も当時の衆俗と殆ど同じなのであり、したがってその著作は実社会をそっくり写したような訳合《わけあい》になるのです。馬琴に至りますと、杉や檜《ひのき》が天をむいて立つように、地平線とは直角をなして、即ち衆俗を抽《ぬき》んでて挺然《ていぜん》として自《みずか》ら立って居りますので、その著述は実社会と決して没交渉でも無関係でもありませんが、しかし並行はして居りませぬのです。時代の風潮は遊廓で優待されるのを無上の栄誉と心得て居る、そこで京伝らもやはり同じ感情を有して居る、そこで京伝らの著述を見れば天明《てんめい》前後の社会の堕落さ加減は明らかに写って居ますが、時代はなお徳川氏を謳歌して居るのであります。しかし馬琴は心中に将軍政治を悦んでは居りませんでした。誰が馬琴の『侠客伝』などを当時の実社会の反映だとはいい得ましょう? 馬琴以外の作者は実に時代と並行線を描いて居ましたが、馬琴は実に時代と直角的に交叉して居たのであります。時代の流れと共に流れ漂って居た人で無かったのであります。自分は自分の感情思想趣味があって、そしてその自分の感情思想趣味を以て実社会を批判して書いたのであるという事を認めなければならんのであります。
下手《へた》の長談義で余り長くなりますから、これまでに致して置きます。
[#地から1字上げ](明治四十一年四月)
底本:「南総里見八犬伝 (十)」岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年7月16日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集 第十五巻」岩波書店
1952(昭和27)年
入力:しだひろし
校正:オーシャンズ3
2007年11月27日作成
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