く彼方の峯に既《はや》没《い》りて、梟の羽※[#「睹のつくり/栩のつくり」、第4水準2−84−93]《はばたき》し初め、空やゝ暗くなりしばかりなり。木立わづかに間《ひま》ある方の明るさをたよりて、御陵《みさゝぎ》尋ねまゐらする心のせわしく、荊棘《いばら》を厭はでかつ進むに、そも/\これをば、清凉紫宸《せいりやうししん》の玉台に四海の君とかしづかれおはしませし我国の帝の御墓ぞとは、かりそめにも申得たてまつらるべきや、わづかに土を盛り上げたるが上に麁末《そまつ》なる石を三重に畳みなしたるあり。それさへ狐兎《こと》の踰《こ》ゆるに任せ草莱《さうらい》の埋むるに任せたる事、勿体なしとも悲しとも、申すも畏し憚りありと、心も忽ち掻き暗まされて、夢とも現《うつゝ》とも此処を何処とも今を何時とも分きがたくなり、御墓の前に平伏《ひれふ》して円顱《ゑんろ》を地に埋め、声も得立てず咽《むせ》び入りぬ。

       其四

 実《げ》にも頼まれぬ世の果敢《はか》なさ、時運は禁腋《きんえき》をも犯し宿業は玉体にも添ひたてまつること、まことに免れぬ道理《ことわり》とは申せ、九重の雲深く金殿玉楼の中にかしづかれおはしませし御身の、一坏《いつぱい》の土あさましく頑石叢棘《ぐわんせきさうきよく》の下《もと》に神隠れさせ玉ひて、飛鳥《ひてう》音《ね》を遺し麋鹿《びろく》痕《あと》を印する他には誰一人問ひまゐらするものもなき、かゝる辺土の山間《やまあひ》に物さびしく眠らせらるゝ御いたはしさ。ありし往時《そのかみ》、玉の御座《みくら》に大政《おほまつりごと》おごそかにきこしめさせ玉ひし頃は、三公九|卿《けい》首《かうべ》を俛《た》れ百官諸司袂をつらねて恐れかしこみ、弓箭《きうぜん》の武夫《つはもの》伎能の士、あらそつて君がため心を傾ぶけ操を励まし、幸に慈愍《じみん》の御まなじりにもかゝり聊か勧賞の御言葉にもあづからむには、火をも踏み水にも没《い》り、生命を塵芥《ぢんかい》よりも軽く捨てむと競ひあへりしも、今かくなり玉ひては皆対岸の人|異舟《いしう》の客《かく》となりて、半巻の経を誦し一句の偈《げ》をすゝめたてまつる者だになし。世情は常に眼前に着《ぢやく》して走り天理は多く背後に見《あら》はれ来るものなれば、千鐘の禄も仙化《せんげ》の後には匹夫の情をだに致さする能はず、狗馬《くば》たちまちに恩を忘るゝとも固《もと》より憎むに足らず、三春の花も凋落の夕には芬芳《ふんばう》の香り早く失せて、※[#「虫+夾」、第3水準1−91−54]蝶《けふてふ》漸く情疎《じやうそ》なるもまた恨むに詮なし。恐れ多けれども一天万乗の君なりとて欲界の網羅を脱し得玉はねば、如是《かく》なり玉ふこと如是なり玉ふべき筈あり、憎まむ世も無く恨まむ天もあるべからず。おもんみれば、赫※[#二の字点、1−2−22]たる大日輪は螻蟻《ろうぎ》の穴にも光を惜まず、美女の面《おもて》にも熱を減ぜず、茫※[#二の字点、1−2−22]たる大劫運《だいごふうん》は茅茨《ばうし》の屋よりも笑声を奪はず、天子眼中にも紅涙を餽《おく》る、尽大地《じんだいち》の苦、尽大地の楽、没際涯《ぼつさいがい》の劫風《ごふふう》滾※[#二の字点、1−2−22]《こん/\》たり、何とりいでゝ歎き喞たむ。さはさりながら現土には無上の尊き御身をもて、よしなき事をおぼしたゝれし一念の御迷ひより、幾干《いくそ》の罪業《つみ》を作り玉ひし上、浪煙る海原越えて浜千鳥あとは都へ通へども、身は松山に音をのみぞなく/\孤灯に夜雨を聴き寒衾《かんきん》旧時を夢みつゝ、遂に空くなり玉ひし御事、あまりと申せば御傷《おんいたは》しく、後の世のほども推し奉るにいと恐ろしゝ。いざや終夜《よもすがら》供養したてまつらむと、御墓《みしるし》より少し引きさがりたるところの平《ひら》めなる石の上に端然《たんねん》と坐をしめて、いと静かにぞ誦しいだす。妙法蓮華経提婆達多品《めうほふれんげきやうだいばだつたぼん》第十二。爾時仏告諸菩薩及天人四衆《にじぶつかうしよぼさつきふてんにんししゆ》、吾於過去無量劫中《ごおくわこむりやうごふちゆう》、求法華経無有懈倦《ぐほけきやうむうげけん》、於多劫中常作国王《おたごふちゆうじやうさこくわう》、発願求於無上菩提《ほつぐわんぐおむじやうぼだい》、心不退転《しんふたいてん》、為欲満足六波羅密《ゐよくまんぞくろくはらみつ》、勤行布施《ごんぎやうふせ》、心無悋惜《しんむりんじやく》、象馬七珍国城妻子奴婢僕従《ざうめしつちんこくじやうさいしぬびぼくじゆう》、頭目身肉手足不惜躯命《づもくしんにくしゆそくふじやくくみやう》、……
 日は全く没《い》りしほどに山深き夜のさま常ならず、天かくすまで茂れる森の間に微なる風の渡ればや、樹端《こずゑ》の小枝《さえだ》音もせず動きて、黒きが中に見え隠れする星の折ふしきら/\と鋭き光りを落すのみにて、月はいまだ出でず。ふけ行くまゝに霜冴えて石床《せきしやう》いよ/\冷やかに、万籟《ばんらい》死して落葉さへ動かねば、自然《おのづ》と神《しん》清《す》み魂魄《たましひ》も氷るが如き心地して何とはなしに物凄まじく、尚御経を細※[#二の字点、1−2−22]と誦しつゞくるに、声はあやなき闇に迷ひて消ゆるが如く存《あ》るが如く、空にかくれてまたふたゝび空より幽に出で来るごときを、吾が声とも他《ひと》の声ともおぼつかなく聴きつゝ、濁劫悪世中《ぢよくごふあくせちゆう》、多有諸恐怖《たうしよきようふ》、悪鬼入其身《あくきにふごしん》、罵詈毀辱我《ばりきじよくが》、と今しも勧持品《くわんぢぼん》の偈《げ》を称ふる時、夢にもあらず我が声の響きにもあらで、正しく円位※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]と呼ぶ声あり。

       其五

 西行かすかに眼《まなこ》を転じて、声する方の闇を覗《うかゞ》へば、ぬば玉の黒きが中を朽木のやうなる光り有てる霧とも雲とも分かざるものの仄白く立ちまよへる上に、其|様《さま》異《こと》なる人の丈いと高く痩せ衰へて凄まじく骨立ちたるが、此方に向ひて蕭然《せうぜん》と佇《たゝず》めり。素より生死の際に工夫修行をつみたる僧なれば恐ろしとも見ず、円位と呼ばれしは抑《そも》何人にておはすや、と尋ぬれば、嬉しくも詣で来つるものよ、我を誰とは尋ねずもあれ、末葉吹く嵐の風のはげしさに園生の竹の露こぼれける露の身ぞ、よく訪《と》ひつるよ、と聞え玉ふ。あら情無や勿体なしや、さては院の御霊《みたま》の猶此|土《ど》をば捨てさせ玉はで、妄執の闇に漂泊《さすら》ひあくがれ、こゝにあらはれ玉ひし歟、あら悲しや、と地に伏して西行涙をとゞめあへず。
 さりとてはいかに迷はせ玉ふや、濁穢《ぢよくゑ》の世をば厭ひ捨て玉ひつることの尊くも有難くおぼえて、いさゝか随縁法施《ずゐえんほふせ》したてまつりしに、六慾の巷にふたゝび現形《げんぎやう》し玉ふは、いとかしこくも口惜き御心に侍り、仮現《けげん》の此|界《さかひ》にてこそ聖慮安らけからぬ節もおはしつれ、不堅如聚沫《ふけんによじゆまつ》の御身を地水火風にかへし玉ひつる上は、旋転如車輪《せんでんによしやりん》の御心にも和合動転を貪り玉はで、隔生即忘《かくしやうそくまう》、焚塵即浄《ふんぢんそくじやう》、無垢の本土に返らせ玉はむこそ願はまほしけれ、頓《やが》ては迂僧も肉壊骨散《にくゑこつさん》の暁を期し、弘誓《ぐぜい》の仏願を頼りて彼岸にわたりつき、楽しく御傍に参りつかふまつるべし、迷はせ玉ふな迷はせ玉ふな、唯何事も夢まぼろし、世に時めきて栄ゆるも虚空に躍る水珠の、日光により七彩を暫く放つに異ならず、身を狭められ悶ゆるも闇夜を辿る稚児《をさなご》の、樹影を認めて百鬼来たりと急に叫ぶが如くなれば、得意も非なり失意も非なり、歓ぶさへも空《あだ》なれば如何で何事の実在《まこと》ならんとぞ承はりおよぶ、無有寃親想《むうをんしんさう》、永脱諸悪趣《えいだつしよあくしゆ》、所詮は御心を刹那にひるがへして、常生適悦心《じやうしやうてきえつしん》、受楽無窮極《じゆらくむきゆうきよく》、法味を永遠に楽ませ玉へ、と思入つて諫めたてまつれば、院の御霊は雲間に響く御声してから/\と異様《ことやう》に笑はせ玉ひ、おろかや解脱の法を説くとも、仏も今は朕《わ》が敵《あだ》なり、涅槃《ねはん》も無漏《むろ》も肯《うけが》はじ、徃時《むかし》は人朕が光明《ひかり》を奪ひて、朕《われ》を泥犂《ないり》の闇に陥しぬ、今は朕人を涙に沈ましめて、朕が冷笑《あざわらひ》の一[#(ト)]声の響の下に葬らんとす、おもひ観よ汝、漸く見ゆる世の乱は誰が為すこととぞ汝はおもふ、沢の蛍は天に舞ひ、闇裏《やみ》の念《おもひ》は世に燃ゆるぞよ、朕は闇に動きて闇に行ひ、闇に笑つて闇に憩《やすら》ふ下津岩根の常闇《とこやみ》の国の大王《おほぎみ》なり、正法《しやうぼふ》の水有らん限は魔道の波もいつか絶ゆべき、仏に五百の弟子あらば朕《われ》にも六天八部の属あり、三世の諸仏菩薩の輩《ともがら》、何の力か世にあるべき、たゞ徒に人の舌より人の耳へと飛び移り、またいたづらに耳より舌へと現はれ出でゝ遊行するのみ、朕が眷属の闇きより闇きに伝ひ行く悪鬼は、人の肺腑に潜み入り、人の心肝骨髄《しんかんこつずゐ》に咬《く》ひ入つて絶えず血にぞ飽く、視よ見よ魔界の通力もて毒火を彼が胸に煽り、紅炎《ぐえん》を此《これ》が眼より迸《はし》らせ、弱きには怨恨《うらみ》を抱かしめ強きには瞋《いか》りを発《おこ》さしめ、やがて東に西に黒雲狂ひ立つ世とならしめて、北に南に真鉄《まがね》の光の煌《きら》めき交《ちが》ふ時を来し、憎しとおもふ人※[#二の字点、1−2−22]に朕が辛かりしほどを見するまで、朝家に酷《むご》く祟《たゝり》をなして天が下をば掻き乱さむ、と御勢ひ凛※[#二の字点、1−2−22]しく誥《つ》げたまふにぞ、西行あまりの御あさましさに、滝と流るゝ熱き涙をきつと抑へて、恐る惶《おそ》るいさゝか首《かうべ》を擡《もた》げゝる。

       其六

 こは口惜くも正《まさ》なきことを承はるものかな、御言葉もどかんは恐れ多けれど、方外の身なれば憚り無く申し聞えんも聊か罪浅う思し召されつべくやと、遮つて存じ寄りのほどを言《まを》し試み申すべし、御憤はまことにさる事ながら、若人|瞋《いか》り打たずんば何を以てか忍辱《にんにく》を修めんとも承はり伝へぬ、畏れながら、ながらへて終に住むべき都も無ければ憂き折節に遇ひたまひたるを、世中《よのなか》そむかせたまふ御便宜《おんたより》として、いよ/\法海の深みへ渓河《たにがは》の浅きに騒ぐ御心を注がせたまひ、彼岸の遠きへ此|土《ど》の汀去りかぬる御迷を船出せさせ玉ひて、玉をつらぬる樹《こ》の下に花降り敷かむ時に逢はむを待ちおはす由承はりし頃は、寂然《じやくねん》、俊成《としなり》などとも御志の有り難さを申し交して如何ばかりか欣ばしく存じまゐらせしに、御|納経《なふきやう》の御望み叶はせられざりしより、竹の梢に中つて流《そ》るゝ金弾の如くに御志あらぬ方へと走り玉ひ、鳴門の潮の逆風《さかかぜ》に怒つて天に滔《はびこ》るやう凄じき御祈願立てさせ玉ひしと仄に伝へ承はり侍りしが、冀《ねが》はくは其事の虚《いつはり》妄にてあれかしと日比《ひごろ》念じまゐらせし甲斐も無う、さては真に猶此|裟婆界《しやばかい》に妄執をとゞめ、彼《かの》兜卒天《とそつてん》に浄楽は得ず御坐《おはし》ますや、訝《いぶか》しくも御意《みこゝろ》の然《さ》ばかり何に留まるらん、月すめば谷にぞ雲は沈むめる、嶺吹き払ふ風に敷かれてたゞ御※[#「匈/(胃−田)」、121−上−27]《おんむね》の月|明《あか》からんには、浮き雲いかに厚う鎖すとも氷輪無為の天《そら》の半に懸り御坐《おは》して、而も清光|湛寂《たんじやく》の潭《ふち》の底に徹することのあるべきものを、雲憎しとのみおぼさんは、そも如何にぞや、降《くだ》れば雨となり、蒸せば霞となり、凝れば雪ともな
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