と》も無し、なにぞ一期の恩愛を説かん、たとひ思ふこと叶ひ、望むこと足りぬとも、※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2−5−68]《そね》みを蒙り羨を惹きて在らんは拙るべし、もとより女の事なれば世に栄えん願ひも左までは深からず、親の御在さねば身を重んずる念《おもひ》もやゝ薄し、あながち御仏を頼みまゐらせて浄土に生れんとにはあらねど、如何なる山の奥にもありて草の庵の其内に、荊棘《おどろ》を簪《かざし》とし粟稗《あはひえ》を炊ぎてなりと、たゞ心|清《すゞ》しく月日経ばやなどと思ひたることは幾度と無く侍り、睦《むつ》ぶべき兄弟《はらから》も無し、語らふべき朋友《とも》も持たず、何に心の残り留まるところも無し、養はれ侍りし恩恵《みめぐみ》に答へまゐらすること無きは聊か口惜けれど、大叔母君の現世安穏後生善処《げんぜあんのんごしやうぜんしよ》と必ず日※[#二の字点、1−2−22]に祈りて酬ひまゐらせん、又情ある人のたゞ一人侍りしが、何と申し交したることも無ければ別れ/\になるとも怪《け》しうはあらず、雲は旧《もと》に依つて白く山は旧に依つて青からんのみなり、全く世をば思ひ切り侍りぬ、とく導師となりて剃度せしめ玉へと、雄※[#二の字点、1−2−22]しくも云ひ出でたれば、其心根の麗せきに愛でゝ、我また雄※[#二の字点、1−2−22]しくも丈なる烏羽玉《うばたま》の髪を落して色ある衣《きぬ》を脱ぎ棄てさせ、四弘誓願《しぐせいぐわん》を唱へしめぬ、や、何と仕玉へる、泣き玉ふか、涙を流し玉ふか、無理ならず、菩提の善友よ、泣き玉ふ歟、嬉しさにこそ泣き玉ふならめ、浄土の同行よ、落涙あるか、定めし感涙にこそ御坐すらめ、おゝ、余りの有難さに自分《おのれ》もまた涙聊か誘はれぬ、さて美しき姫は亡せ果てたり、美しき尼君は生《な》り出で玉ひぬ、青※[#二の字点、1−2−22]としたる寒げの頭《かしら》、鼠色《ねずみ》の法衣《ころも》、小き数珠《ずゞ》、殊勝なること申すばかり無し、高野の別所に在る由の菩提の友を訪《とぶら》はんとて飄然として立出で玉ひぬ、其後の事は知るよし無し、燕の忙《せは》しく飛ぶ、兎の自ら剥ぐ、親は皆自ら苦む習なれば子を思はざる人のあらんや、但し欲楽の満足を与へ栄華の十分を享けしむるは、木葉《このは》を与へて児の啼きを賺《す》かす其にも増して愚のことなり、世を捨つる人がまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけれ、たゞ幾重にも御仏を頼み玉へ、心留むべき世も侍らず、南無仏※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]、と云ひ切りて口を結びて復言はず。月はやがて没《い》るべく西に廻りて、御堂に射し入る其光り水かとばかり冷かに、端然として合掌せる二人の姿を浮ぶが如くに御堂の闇の中に照し出しぬ。[#地から1字上げ](明治三十四年一月「文芸倶楽部」)
底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
1963(昭和38)年1月19日初版第1刷
1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
初出:「國會」
1892(明治25)年5月
「文藝倶樂部」
1901(明治34)年1月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
※「御陵《みさゝぎ》」と「御陵《みさゝき》」の混在は底本通りにしました。
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全13ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング