餅《もち》を食いながら行く心の中いと悲しく、銭あらば銭あらばと思いつつようよう進むに、足の疲れはいよいよ甚しく、時には犬に取り巻かれ人に誰何《すいか》せられて、辛《から》くも払暁《あけがた》郡山に達しけるが、二本松郡山の間にては幾度《いくど》か憩《いこ》いけるに、初めは路の傍《かたわら》の草あるところに腰《こし》を休めなどせしも、次には路央《みちなか》に蝙蝠傘《こうもりがさ》を投じてその上に腰を休むるようになり、ついには大の字をなして天を仰ぎつつ地上に身を横たえ、額を照らす月光に浴して、他年のたれ死をする時あらば大抵《たいてい》かかる光景ならんと、悲しき想像なんどを起すようなりぬ。
 二十九日、汽車の中に困悶《こんもん》して僅《わず》かに睡《ねむ》り、午後東京に辛《から》くも着きぬ。久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然《そうぜん》たる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上《ばばうえ》のこの四五日前より中風とやらに罹《かか》りたまえりとて、身動きも得《え》したまわず病蓐《びょうじょく》の上に苦しみいたまえるには、いよいよ心も心ならず驚《おどろ》き悲しみ、弟妹等の生長せるばかりにはやや嬉《うれ》しき心地すれど、いたずらに齢《よわい》のみ長じてよからぬことのみし出《いだ》したる我が、今もなお往時《むかし》ながらの阿蒙《あもう》なるに慚愧《ざんき》の情身を責《せ》むれば、他を見るにつけこれにすら悲しさ増して言葉も出でず。
[#地から1字上げ](明治二十年八月)



底本:ちくま日本文学全集『幸田露伴』 筑摩書房
   1992(平成4)年3月20日第一刷
親本:「ちくま文学の森」筑摩書房
入力:真先芳秋
校正:丹羽倫子
1998年9月16日公開
2003年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング