れしが、元禄年中三谷助太夫というものの探り試みしより以来《このかた》また行わるるに至りしという。窟のありさまを考うるに、あるいは闊くなりあるいは狭くなり、あるいは上りあるいは下り、極めて深き底知れぬ谷などのあるのみならず、岩のさま角だたず滑らかにして、すべて物の自然《おのずから》溶け去りし後の如くなれば、人の造りしものともおもわれず、七宝所成にして金胎両部の蓮華蔵海なりなどいう法師らが説はさておき、まことにおのずから成れる奇窟なるべく、東の出口と西の入口と相隔たること窟の外にてもおよそ一町ほどなれば、窟の中二町余りというも虚妄《いつわり》にあらじと肯わる。ただ窟の内のさまざまの名は皆強いて名づけたるにて、名に副うものは一もなし。
 窟禅定も仕はてたれば、本尊の御姿など乞い受けて、来し路ならぬ路を覚束《おぼつか》なくも辿ることやや久しく、不動尊の傍《かたえ》の清水に渇《かわ》きたる喉を潤《うるお》しなどして辛くも本道に出で、小野原を経て贄川に憩《いこ》う。荒川橋とて荒川に架《わた》せる鉄橋あり。岸高く水遠くして瀬をなし淵をなし流るる川のさまも凡《ただ》ならぬに、此方の岩より彼方の岩へかかれる吊橋の事なれば、塗りたる色の総べて青きもなかなかに見る眼|厭《いと》わしからず、瑞西《スイツル》あたりの景色の絵を目のあたり此処に見る心地す。贄川は後に山を負い前に川を控えたる寂びたる村なれど、家数もやや多くて、蚕《かいこ》の糸ひく車の音の路行く我らを送り迎えするなど、住まば住み心よかるべく思わるるところなり。昼食《ひるげ》しながらさまざまの事を問うに、去年《こぞ》の冬は近き山にて熊を獲《と》りたりと聞き、寒月子と顔見合わせて驚き、木曾路の贄川、ここの贄川、いずれ劣らぬ山里かな、思えば思い做《な》しにや景色まで似たるところありなどと語らう。
 贄川を立ち出でて猪の鼻を経、強石に到る。贄川より隧道《トンネル》を過ぐるまでの間、山ようやく窄り谷ようやく窮まりて、岨道の岩のさまいとおもしろく、原広く流れ緩きをもて名高き武蔵の国の中にもかかるところありしかと驚かる。されど隧道を過ぐれば趣き変りて、兀げたる山のみ現れ来るもおかし。上りつ下りつして強石を過ぎ、川のほとりにいたる。川のむかいは即ち三峰にて、強石は即ち多くの地図に大滝と見えたる村の小名なり。大滝というも贄川というも、水の流れ烈しき
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