る光はあらはれ、然るべき人は世にかくれ、つまらぬ者は時めき、そして、其戸を※[#「門<規」、第3水準1−93−57]《うかが》へば闃《げき》として其れ人|无《な》し、三歳|覿《み》えず、凶なりといふやうになつてしまふ。震前の社会のさまは、このやうでは無かつたか。今はもう言つて甲斐なきことだ。たゞ恐懼修省の工夫を為すべきである。懼れて慎み、慎みて誠ならば、修省の道はおのづから目前に在り足下に現はるべきである。修省すれば福来り幸《さいはひ》至るは自然の理である。慢心や笑容を去つて、粛然たる気合《きあひ》になれば、悪いことは生ずべきで無い。
地震学はまだ幼い学問である。然るに、あれだけの大災に予知が出来無かつたの、測震器なんぞは玩器《おもちや》同様な物であつたのと難ずるのは、余りに没分暁漢《わからずや》の言である。強震大震の多い我邦の如き国に於てこそ地震学は発達すべきである。諸外国より其智識も其器械も歩を進めて、世界学界に貢献すべきである。科学に対して理解を欠き、科学の功の大ならざるを見る時は、忽ちに軽侮漫罵の念を生ずるのは、口惜しい悪風である。科学は吾人の盛り上げ育て上げて、そして立派なものにせねばならぬものである。喩へば吾人の子供を吾人が哀※[#二の字点、1−2−22]劬労して育て上げねばならぬのと同じことである。まして地震学の如きは、まだ幼い学科である。そして黴菌学なんぞの如くに研究者も研究の保護促進をする者も多く無いのである。これに対つて徒らに其功無きを責むるのは、所謂※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]卵に対つて其暁を報ぜざるを責むるの痴である。科学一点張りの崇拝も自分は厭ふが、科学慢侮も実に厭はしい。科学は十分に尊敬し、十分に愛護し、そして其の生長して偉才卓能をあらはすのを衷心より歓迎せねばならぬ。
明治の末年の大洪水に先だつて、忌はしい謡が行はれた。それは今でも明記して居る人が有らうが、「たんたん、たん/\、田の中で……」といふ謡で、「おッかあも……田螺《たにし》も呆れて蓋をする」といふのであつた。謡の意は婦人もまた裳裾を※[#「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−84]《かゝ》げて水を渉《わた》るに至つて其影悪むべく、田螺も呆れて蓋をするといふのである。其謡は何人が作つたか知らぬが、童幼皆これを口にするに及んで、俄然として江東大水、家流
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