おのが角を立派にし、おのが筋骨を強くし、おのが身を大きくしようとする。其段になればやはり闘だ。如何に愛宕《あたご》の申子なればとて、飯綱愛宕の魔法を修行し、女人禁制の苦を甘ない、経陀羅尼《きょうだらに》を誦《じゅ》して、印を結び呪《じゅ》を保ち、身を虚空に騰《あが》らせようなどと、魔道の下《もと》に世をひれ伏さしょうとするほどのたわけ者が威を振って、公方を手づくねの泥細工で仕立つる。それが当世でござる。癪に触らいでか。道も知らぬ、術も知らぬ、身柄家柄も無い、頼むは腕一本|限《ぎ》りの者に取っては、気に食わぬ奴は容赦無くたたき斬《き》って、時節到来の時は、つんのめって海に入る。然様したスッキリした心持で生きて、生きとおしたら今宵死んでも可い、それが又自然に世の中の為にもなろう。ハハハハハハ。」
「それで世の中は何時迄も修羅道つづきで……御身は修羅道の屈原のような。」
「ナニ、屈原とナ。」
「心を厳しく清く保って主に容れられず、世に容れられず、汨羅《べきら》に身を投げて歿《な》くなられた彼《あ》の。」
「フ、フ。ヤ、それがしはおとなしくは死なぬ、暴れ屈原か。ハハハハ。」
「世を遁《のが》れて仏道に飛込まれた彼の了休禅坊はおとなしい屈原で。」
「ハハ、ハハ。良い男だが、禅に入るなど、ケチな奴で。」
「失礼御免を蒙《こうむ》りまするが、たたき斬り三昧《ざんまい》で、今宵死んで悔いぬとのみの暴れ屈原も……」
「貴様の存分な意見からは……」
「ケチではござらぬかナ。と申したい。」
「アッハッハ。何でまた。」
「物さしで海の深さを測る。物さしのたけが尽きても海が尽きたではござらぬ。今の武家の世も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる、仏道の世界も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる、日本国も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる。が、世界がそれらで尽きたではござらぬ。高麗《こうらい》、唐土《もろこし》、暹羅《シャム》国、カンボジャ、スマトラ、安南《あんなん》、天竺《てんじく》、世界ははて無く広がって居りまする。ここの世界が癪に触るとて、癪に触らぬ世界もござろう。紀伊の藤代から大船《たいせん》を出して、四五十反の帆に東々北の風を受ければ、忽《たちま》ちにして煩わしい此の世界はこちらに残り、あちらの世界はあちらに現われる。異った星の光、異った山の色、随分おもしろい世界もござるげな。何といろいろの世界を股にかける広い広い大きな渡海商いの世界から見ましょうなら、何人が斬れるでも無い一本の刀で癇癪《かんしゃく》の腹を癒《いや》そうとし、時節到来の暁は未練なく死のうまでよと、身を諦めて居らるる仁有らば、いさぎよくはござれど狭い、小さい、見て居らるる世界が小さく限られて、自然と好みも小さいかと存ずる。大海《だいかい》に出た大船の上で、一天の星を兜《かぶと》に被《き》て、万里の風に吹かれながら、はて知れぬ世界に対《むか》って武者振いして立つ、然様いう境界《きょうがい》もあるのでござりまするから」
と言いかけたる時、狗の鈴の音しきりに鳴りて、又此家に人の一人二人ならず訪《と》い来れる様子の感ぜらる。
此時主人は改めて大きくにッたりと笑って、其眼は客を正目《まさめ》に見ながら、
「如何にも手広い渡海商いは、まことに心地よいことでござろう。小さな癇癪などは忘るるほどのことでもござろう。然しナ、其の大海の上で万里の風に吹かれながら、真蒼《まっさお》の空の光を美しいと見て立っている時、これから帰り着くべき故郷の吾《わ》が家でノ、最愛の妻が明るうないことを仕居って、其召使が誤って……あらぬ男を引入れ、そして其のケチな男に手証の品を握って帰られた……と知ったなら、広い海の上に居ても、大腹中でも、やはり小さな癇癪《かんしゃく》が起らずには居まいがナ。」
と、三斗の悪水《おすい》は驀向《まっこう》から打澆《うちか》けられた。
客は愕然《がくぜん》として急に左の膝を一ト[#「ト」は小書き]膝引いて主人《あるじ》を一ト眼見たが、直に身を伏せて、少時《しばし》は頭《かしら》を上げ得無かった。然し流石《さすが》は老骨だ。
「恐れ入りました。」
と、一句、ただ一句に一切を片づけて了って、
「了休禅坊とは在俗中も出家後も懇意に致居りましたを手寄《たよ》りに、御尋致しましたるところ、御隔意無く種々御話し下され、失礼ながら御気象も御思召《おぼしめし》も了休御噂の如く珍しき御器量に拝し上げ、我を忘れて無遠慮に愚存など申上げましたが、畢竟《ひっきょう》は只今御話の一ト[#「ト」は小書き]品を頂戴致したい旨を申出ずるに申出兼ねて、何《なに》彼《かに》、右左、と御物語致し居りたる次第、但し余談とは申せ、詐《いつわ》り飾りは申したのではござりませぬ、御覧の如くの野人にござりまする。何卒了休禅坊御懇親
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