が悪いではないが、エーイ、癪に触る一世の姿。」
「訳のよく分らぬことを仰せあるが、右膳申したる旨は御取あげ無いか。」
「…………」
「必ず御用いあることと存じて、大事も既に洩《も》らしたる今、御用いなくば、後へも前《さき》へも、右膳も、臙脂屋も動きが取れ申さぬ。ナ、御返答は……」
「…………」
「主家のためなり、一味のためなり、飽まで御返辞無きに於ては、事すでに逼《せま》ったる今」
と、決然として身を少く開く時、主人の背後《うしろ》の古襖《ふるぶすま》左右へ急に引除《ひきの》けられて、
「慮外御免。」
と胴太き声の、蒼く黄色く肥ったる大きなる立派な顔の持主を先に、どやどやと人々入来りて木沢を取巻くように坐る。臙脂屋早く身《み》退《すさ》りし、丹下は其人を仰ぎ見る、其眼を圧するが如くに見て、
「丹下、けしからぬぞ、若い若い。あやまれあやまれ。後輩の身を以て――。御無礼じゃったぞ。木沢殿に一応、斯様《かよう》に礼謝せい。」
と、でっぷり肥ったる大きな身体を引包む緞子《どんす》の袴《はかま》肩衣《かたぎぬ》、威儀堂々たる身を伏せて深々と色代《しきたい》すれば、其の命拒みがたくて丹下も是非無く、訳は分らぬながら身を平め頭《かしら》を下げた。偉大の男はそれを見て、笑いもせねば褒めもせぬ平然たる顔色《かおつき》。
「よし、よし、それでよし。よくあやまってくれたぞ、丹下。木沢|氏《うじ》、あの通りにござる。卒爾《そつじ》に物を申し出したる咎《とが》、又過言にも聞えかねぬ申しごと、若い者の無邪気の事で。ござる。あやまり入った上は御《お》免《ゆる》し遣わされい。さて又丹下、今一度ただ今のように真心|籠《こ》めて礼を致してノ、自分の申したる旨御用い下されと願え。それがしも共に願うて遣わす、斯《か》くの通り。」
と、小山を倒すが如くに大きなる身を如何にも礼儀正しく木沢の前に伏せれば、丹下も改めて、
「それがしが申したる旨御用い下さるよう、何卒、御願い申しまする木沢殿。」
という。猶《なお》未だ頭を上げなかった男、胴太い声に、
「遊佐《ゆさ》河内守、それがしも同様御願い申す。」
と云い、
「エイ、方々《かたがた》は何をうっかりとして居らるる。敵に下ぐる頭ではござらぬ、味方同士の、兄弟の中ではござらぬか。」
と叱《しっ》すれば、皆々同じく頭を下げて、
「杉原太郎兵衛、御願い申す。」
「斎藤九
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