に
○塩入村の茅舎竹籬《ぼうしやちくり》を見、左に蘆葭《ろか》の茂れるを見ながら一折して、終に南に向つて去る。このあたりは河水東西に流れて両岸の地もまた幽寂《ゆうじやく》空疎なれば、三秋月を賞するのところとして最も可なり。およそ月を観て興を惹くは、山におけるより水におけるを勝《すぐ》れりとす。月東山を離るといふの句は詞客《しかく》の套語となれりといへども、実は水に近き楼台《ろうだい》の先づ清輝を看るを得るの多趣なるに如《し》かず。また止水におけるは流水におけるの多趣なるに如かず。池をめぐりて夜もすがらといふの情も妙ならざるにはあらざれど、川上とこの川下や月の友といふの景のおもしろさには及ぶべからず。さてまた同じ流水にても、南北の流れにおけるは東西の流れにおけるのをかしきに如かず。南北の流れにては月の出づるところ東岸に迫られて妙ならねど、東西の流れにては月は直《ただち》に河水の水面よりさし昇るところなれば、見渡す眺めも広※[#二の字点、1−2−22]として、浪に砕くる清き光の白銀を流すが如くいと長く曳きてきら/\と輝くなど、いふにいはれぬ趣きあり。特《こと》にこの辺りは川幅も濶《ひろ》くかつ差し潮の力も利けば、大潮の満ち来る勢に河も膨るゝかと見ゆる折柄、潮に乗りて輾《きし》り出づる玉兎のいと大にして光り花やかなるを瞻《み》る、心もおのづから開くやう覚えて快し。一年の中に夕の潮は秋の潮最も大にして、一月の中に満月の夜の潮はまた最も大に、加之《しかも》月の上る頃はこのあたりにては潮のさし来る勢最も盛なる時なれば、東京広しといへども仲秋の月見にはこのあたりに上越したる好き地あるべくもあらず。人もし試《こころみ》に仲秋船を泛《うか》めてこのあたりに月を賞しなば、必ずや河も平生《ひごろ》の河にあらず月も平生の月にあらざるを覚えて、今までかゝる好風景の地を知らで過ぐしゝを憾《うら》むるならん。古《いにしえ》より文人墨客の輩綾瀬以上に遡らずして、たまたまかゝる地あるを知らざりしかば、詩文に載せられて世に現るゝことなく、以て今日に至りしならん。
○塩入りの渡口は月を観るに好き地の下流に在り。墨田堤の方より川を隔てゝ塩入村を望む眺め、呉春《ごしゆん》なんどの画を見る如く、淡き風景の中に詩趣乏しからず。
○綾瀬川は荒川の一転折して南に向つて流るゝところにて、東より来つて会する一渠の名なり
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