ならなかったものと見えて、丁度「いろは」を卒《お》える頃からででもあったろうか、何でも大層眼を患って、光を見るとまぶしくてならぬため毎日々々戸棚の中へ入って突伏して泣いて居たことを覚えて居る。いろいろ療治をした後、根岸に二十八宿の灸とか何とかいって灸をする人があって、それが非常に眼に利くというので御父様に連れられて往った。妙なところへおろす灸で、而もその据えるところが往くたびに違うので馬鹿に熱い灸でした。往くたび毎に車に乗っても御父様の膝へ突伏してばかり居たが、或日帰途に弁天の池の端を通るとき、そうっと薄く眼を開いて見ると蓮の花や葉がありありと見えた。小供心にも盲目になるかと思って居たのが見えたのですから、其時の嬉しかったことは今思い出しても飛び立つようでした。最も永い病気で医者にもかかれば、観行院様(祖母)にも伴われて日朝様へ願を掛けたり、色々苦労したのです。其時日朝上人というのは線香の光で経文を写したという話を観行院様から聞いて、大層眼の良い人だと浦山しく思いました。然し幸に眼も快《よ》くなって何のこともなく日を過した。
 夏になると朝習いというのが始まるので、非常に朝早く起きて稽古に行ったものです。ところが毎朝通る道筋の角に柳屋という豆腐屋がある、其処の近所に何時も何時も大きな犬が寐転んで居る。子供の折は犬が非常に嫌いでしたから、怖々《こわごわ》に遠くの方を通ると、狗《いぬ》は却って其様子を怪んで、ややもすると吠えつく。余り早いので人通は少し、これには実に弱りました。或朝などは怖々ながらも、また今にも吠えられるか噛みつかれるかと思って、其犬の方ばかり見て往ったものだから、それに気をとられて路の一方の溝の中へ落ちたことがあった。別段怪我もしなかったが、身体中汚い泥染れになって叱られたことがある。其後親戚のものから、これを腰にさげて居れば犬が怖れて寄《より》つかぬというて、大きな豹だか虎だかの皮の巾着を貰ったので、それを腰にぶらぶらと下げて歩いたが、何だか怪しいものをさげて居た為めででもあったかして犬は猶更吠えつくようで、しばしば柳屋の前では閉口しました。然しまた可笑しかったのは、其巾着をさげて机の前に坐って手習をして居ると、女の人達が起ったり坐ったりする時に、動《やや》もすると知らずに踏みつける、すると毛がもじゃもじゃとするのでキャッといって驚く。其キャッと云っ
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