る道を工夫した事も修業した事もないといふ事を示す。混雑、不体裁や不便宜がよいといふ道理はない。
 これはたゞ物の置き方の話であるが、物の積み方もさうで、小さい物を下にして大きい物を上に積めば、その結果は甚だ宜しくない。これ位の僅な事は考へるまでもなく誰でも承知してゐることであるが、実際は小さいものゝ上に大きい物を重ねる様な真似を屡《しば/\》演ずるものである。さうして菊判の本の下へポケット、ブツクを蔵つて了つて、俺の手帳が無くなつたと呟き出すことは、往々にして有り勝ちな事である。これは寔《まこと》に些細の事であるが、さてさういふ些細の事から時々大きい事が起るものである。
 これ等は物の扱ひ方といふ迄であるが、さて亦その上に物を扱ふにつけての心がけといふものがある、この心がけの段になると、仲々出来てゐる人は少い。物を扱ふ心がけに於ては、何処までもその物を愛し、重んじ、その物だけの理や、強さや、必要さやを尽させるのが正当である。この心がけが足りないと、物をしてその必要を尽す間もなく、その力を出す間もなく、その美しさを保たせずして終らせて了ふといふ事になる。
 例えば、一本の筆でも、これを扱ふに道を以てせなければ、直《すぐ》に用に立たなくなる。一挺のナイフでも、林檎を剥《む》いた儘、之を拭はずに捨てゝ置けば直に錆び腐つて、用ひられなくなる。一ツの鋸でも、素人といふものは、使つてへらす[#「へらす」に傍点]より、扱ひ方が悪くて、無用のものにして了ふ方が多い。一ツの茶碗、一ツの土瓶でも、之を扱ふ道を得ないと直に廃物となる。鉄瓶の如き堅いものすら水の強《したゝ》かに入つてゐるのを五徳の上に手荒く置くやうにすれば、やはり破損して水が洩るやうになる。一丁の墨、一箇のペンもその扱ひやうに依つては、充分に役立つに拘らず、何程の効も為さずして終つて了ふ。機械の如き、扱ひ方の如何、接する心がけの良否《よしあし》で非常な差を生ずる。時計の如き、捲くべき時間に必ずネジを捲き、これを正常に扱へば、十年なり、十五年なり、楽にもつものを、或時は捲き、或時は捲かず、或時は手荒く取り扱ふ時は、直《すぐ》壊《こは》れて、無用のものとなる。時計より一段進んだ船舶用のクロノメートルに至つては一段の心がけが必要である。若し、クロノメートルが狂ひ出すと、大洋中で船の位置を知る事が不能になる。クロノメートルの価は僅なものであるが、煙霧の中で船の位置を測定する事が不確実になつては、一大事を惹き起さぬとも限らぬ。発動機の如きはなほ取り扱ひが重大で、飛行機の墜落の大部分は発動機の故障より生ずるのである。
 然らば如何にして、物に接すべきか。
 それには、その物を愛する、この心がけが最も重大なものであつて、これは仁である。
 その物を理解し、正しく取り扱ふ、これは次に大切な心がけであつて、これは義である。物に接するにも仁義が第一である。[#以下、地付き](大正十五年二月)



底本:「日本の名随筆 別巻76・常識」作品社
   1997(平成9)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集 別巻 下」岩波書店
   1980(昭和55)年3月28日第1刷発行
入力:渡邉 つよし
校正:門田 裕志
2001年9月28日公開
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