を述べた後、「御秘蔵のと同じような白定鼎をそれがしも手に入れました」といった。唐太常は吃驚《びっくり》した。天下一品と誇っていたものが他所《よそ》にもあったというのだからである。で、「それならばその品を視せて下さい」というと、丹泉は携えて来ていたのであるから、異議なく視せた。唐は手に取って視ると、大きさから、重さから、骨質から、釉色《ゆうしょく》の工合から、全くわが家のものと寸分|違《たが》わなかった。そこで早速自分の所有のを出して見競《みくら》べて視ると、兄弟か※[#「戀」の「心」に代えて「女」、第4水準2−5−91]生《ふたご》か、いずれをいずれとも言いかねるほど同じものであった。自分のの蓋《ふた》を丹泉の鼎に合せて見ると、しっくりと合《がっ》する。台座を合せて見ても、またそれがために造ったもののようにぴたりと合う。いよいよ驚いた太常は溜息《ためいき》を吐《つ》かぬばかりになって、「して君のこの定鼎はどういうところからの伝来である」と問うた。すると丹泉は莞爾《にっこ》と笑って、「この鼎は実は貴家から出たのでござりまする。かつて貴堂において貴鼎を拝見しました時、拙者はその大小軽重|形貌《けいぼう》精神、一切を挙げて拙者の胸中に了※[#二の字点、1−2−22]《りょうりょう》と会得しました。そこで実は倣《なら》ってこれを造りましたので、あり体《てい》に申します、貴台を欺《あざむ》くようなことは致しませぬ」といった。丹泉は元来|毎※[#二の字点、1−2−22]《つねづね》江西《こうせい》の景徳鎮《けいとくちん》へ行っては、古代の窯器の佳品の模製を良工に指図しては作らせて、そしていわゆる掘出し好きや、比較的低い銭で高い物を買おうとする慾張りや、訳も分らぬくせに金銭ずくで貴い物を得ようとする耳食者流《じしょくしゃりゅう》の目をまわさせていたもので、その製作は款紋色沢《かんもんしきたく》、すべて咄※[#二の字点、1−2−22]《とつとつ》として真に逼《せま》ったものであったのである。恐ろしい人もあったもので、明の頃に既にこういう人があったのであるから、今日でもこの人の造らせた模品が北定窯だの何だのといって何処《どこ》かの家に什襲珍蔵《じゅうしゅうちんぞう》されていぬとは限るまい。さて、周の談《はなし》を聞いて太常はまた今更に歎服した。で、「それならばこの新鼎は自分に御譲りを
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