あれ》が一人の母のことは彼さえいねば我夫にも話して扶助《たすく》るに厭は云わせまじく、また厭というような分らぬことを云いもしますまいなれば掛念《けねん》はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭《かげ》で清をばいたわることは、我夫へは当分|秘密《ないしょ》にして。わかった、えらい、もう用はなかろう、お帰りお帰り、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見《でっくわ》しては拙《まず》かろう、と愛想はなけれど真実はある言葉に、お吉|嬉《うれ》しく頼みおきて帰れば、その後へ引きちがえて来る源太、はたして清吉に、出入りを禁《と》むる師弟の縁|断《き》るとの言い渡し。鋭次は笑って黙り、清吉は泣いて詫びしが、その夜源太の帰りしあと、清吉鋭次にまた泣かせられて、狗《いぬ》になっても我ゃ姉御夫婦の門辺は去らぬと唸《うな》りける。
四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉《いでゆ》を志して江戸を出でしが、それよりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都《あずま》なるべし。
其三十
十兵衛傷を負うて帰ったる翌朝、平生《いつも》のごとく夙《と》く起き出づればお浪驚いて急にとどめ、まあ滅相な、ゆるりと臥《やす》んでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなったら何となさる、どうか臥んでいて下され、お湯ももうじき沸きましょうほどに含嗽手水《うがいちょうず》もそこで妾がさせてあげましょう、と破れ土竈《べっつい》にかけたる羽虧《はか》け釜《がま》の下|焚《た》きつけながら気を揉《も》んで云えど、一向平気の十兵衛笑って、病人あしらいにされるまでのことはない、手拭だけを絞ってもらえば顔も一人で洗うたが好い気持じゃ、と箍《たが》の緩《ゆる》みし小盥《こだらい》にみずから水を汲み取りて、別段悩める容態《ようす》もなく平日《ふだん》のごとく振舞えば、お浪は呆《あき》れかつ案ずるに、のっそり少しも頓着《とんじゃく》せず朝食《あさめし》終《しも》うて立ち上り、いきなり衣物を脱ぎ捨てて股引《ももひき》腹掛け着けにかかるを、とんでもないことどこへ行かるる、何ほど仕事の大事じゃとて昨日の今日は疵口の合いもすまいし痛みも去るまじ、じっとしていよ身体を使うな、仔細はなけれど治癒《なお》るまでは万般《よろず》要慎《つつしみ》第一と云われたお医者様の言葉さえあるに、無理|圧《お》しして感
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