《ひと》の気持を悪うして、恩知らず人情無しと人の口端にかゝるのは余りといへば情無い、女の差出た事をいふと唯一口に云はるゝか知らねど、正直律義も程のあるもの、親方様が彼程《あれほど》に云ふて下さる異見について一緒に仕たとて恥辱《はぢ》にはなるまいに、偏僻《かたいぢ》張つて何の詰らぬ意気地立て、それを誰が感心なと褒ませう、親方様の御料簡につけば第一御恩ある親方の御心持もよい訳、またお前の名も上り苦労骨折の甲斐も立つ訳、三方四方みな好いに何故其気にはなられぬか、少しもお前の料簡が妾の腹には合点《のみこめ》ぬ、能くまあ思案仕直して親方様の御異見につい従ふては下されぬか、お前が分別さへ更《かへ》れば妾が直にも親方様のところへ行き、何にか彼にか謝罪《あやまり》云ふて一生懸命精一杯、打たれても擲かれても動くまい程覚悟をきめ、謝罪つて謝罪つて謝罪り貫《ぬ》いたら御情深い親方様が、まさかに何日まで怒つてばかりも居られまい、一時の料簡違ひは堪忍《かに》して下さる事もあらう、分別仕更て意地張らずに、親方様の云はれた通り仕て見る気にはなられぬか、と夫思ひの一筋に口説くも女の道理《もつとも》なれど、十兵衞はなほ眼も動かさず、あゝもう云ふてくれるな、あゝ、五重塔とも云ふてくれるな、よしない事を思ひたつて成程恩知らずとも云はれう人情なしとも云はれう、それも十兵衞の分別が足らいで出来したこと、今更何共是非が無い、然し汝の云ふやうに思案仕更るは何しても厭、十兵衞が仕事に手下は使はうが助言は頼むまい、人の仕事の手下になつて使はれはせうが助言はすまい、桝組も椽配《たるきわ》りも我が為る日には我の勝手、何所から何所まで一寸たりとも人の指揮《さしづ》は決して受けぬ、善いも悪いも一人で脊負つて立つ、他の仕事に使はれゝば唯正直の手間取りとなつて渡されただけの事するばかり、生意気な差出口は夢にもすまい、自分が主でも無い癖に自己《おの》が葉色を際立てゝ異《かは》つた風を誇顔《ほこりが》の寄生木《やどりぎ》は十兵衞の虫が好かぬ、人の仕事に寄生木となるも厭なら我が仕事に寄生木を容るゝも虫が嫌へば是非がない、和しい源太親方が義理人情を噛み砕いて態※[#二の字点、1−2−22]|慫慂《すゝめ》て下さるは我にも解つてありがたいが、なまじひ我の心を生して寄生木あしらひは情無い、十兵衞は馬鹿でものつそりでもよい、寄生木になつて栄
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