顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と独語《つぶや》きて早くも障子ぴしやり。
復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼申すと叫べば、其声《それ》より大《でか》き声を発《いだ》して馬鹿めと罵りながら爲右衞門づか/\と立出で、僮僕《をとこ》ども此|狂漢《きちがひ》を門外に引き出せ、騒※[#二の字点、1−2−22]しきを嫌ひたまふ上人様に知れなば、我等が此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人《をとこ》部屋に転がり居し寺僕《をとこ》等立かゝり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口※[#二の字点、1−2−22]に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝|剪《はさ》んで床の眺めにせんと、境内彼方此方逍遥されし朗圓上人、木蘭色《もくらんじき》の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗《しゆ》の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまひぬ。
其六
何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の輩《ともがら》鳴りを歇《とゞ》めて、振り上げし拳を蔵《かく》すに地《ところ》なく、禅僧の問答に有りや有りやと云ひかけしまゝ一喝されて腰の折《くだ》けたる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁《きまり》悪げに下して狐鼠※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]《こそ/\》と人の後に隠るゝもあり。天を仰げる鼻の孔より火烟も噴べき驕慢の怒に意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは慚《は》ぢてや首を俛《た》れ掌《て》を揉みながら、自己《おのれ》が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕《つ》いたる法令の皺溝《すぢ》をひとしほ深めて、につたりと徐《ゆるや》かに笑ひたまひ、婦女《をんな》のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門|汝《そなた》がたゞ従順《すなほ》に取り次さへすれば仔細は無うてあらうものを、さあ十兵衞殿とやら老衲《わし》について此方へ可来《おいで》、とんだ気の毒な目に遇はせました、と万人に尊敬《うやま》ひ慕はるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和《ものやさ》しく先に立て静に導きたまふ後について、迂濶な根性にも慈
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