、内心に或省察をいだかしめ、若くは感情の上に或動揺を起さしめた点の有った事は、小さな事実には過ぎなかったにせよ、事実であったのでありまして、言語体の文章も「浮雲」のようなあんなのならば言語体を取った丈の甲斐もあると云うような評が所々に聞えた事は記臆しています。私等もそういう評をもっともだと聞いて居った一人であります。明治の言語体文章に就ての美妙齋君の功績は十二分に之を認めなければならぬのでありますが、二葉亭主人の「浮雲」が与えた左様いう感じも必ずしも小さい働《はたらき》ではないと思います。文章発達史の上から云えば矢張り顧視せねばならぬ事実だと思います。
 それはまあただ文章の上だけの話でありますが、其から「浮雲」其物が有した性質が当時に作用した事も中々少くはなかったように覚えています。今でこそ別に不思議でもないのでありますが、彼《あ》の頃でああいうものは実に類例のないものであったのであります。勿論西洋のものもそろそろ入って来ては居りましたのですが、リットンものや何ぞが多く輸入されていたような訳で、而して其が漢文訳読体の文になったり、馬琴風の文の皮を被《かぶ》ったりして行われていたのでし
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