なっている水の中からヒョイヒョイと、昨日と同じように竹が出たり引込《ひっこ》んだりしまする。ハテ、これはと思って、合点しかねているというと、船頭も驚きながら、旦那は気が附いたかと思って見ると、旦那も船頭を見る。お互《たがい》に何だか訳の分らない気持がしているところへ、今日は少し生暖《なまあたた》かい海の夕風が東から吹いて来ました。が、吉は忽《たちま》ち強がって、
「なんでえ、この前の通りのものがそこに出て来る訳はありあしねえ、竿はこっちにあるんだから。ネエ旦那、竿はこっちにあるんじゃありませんか。」
怪《かい》を見て怪とせざる勇気で、変なものが見えても「こっちに竿があるんだからね、何でもない」という意味を言ったのであったが、船頭もちょっと身を屈《かが》めて、竿の方を覗《のぞ》く。客も頭の上の闇を覗く。と、もう暗くなって苫裏《とまうら》の処だから竿があるかないか殆ど分らない。かえって客は船頭のおかしな顔を見る、船頭は客のおかしな顔を見る。客も船頭もこの世でない世界を相手の眼の中から見出したいような眼つきに相互に見えた。
竿はもとよりそこにあったが、客は竿を取出して、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏と言って海へかえしてしまった。
[#29字下げ、地より1字あきで](昭和十三年九月)
底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年11月16日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集」第六巻、岩波書店
1953(昭和28)年12月刊
※繰り返し記号の二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたようなもの)は、「々」で代えた。
入力:Sin
校正:伊藤時也
2000年5月31日公開
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