れずに糸が切れてしまう。あとはまた直ぐ鉤《はり》をくっつければそれでいいのです。この人が竿を大事にしたことは、上手に段々細にしたところを見てもハッキリ読めましたよ。どうも小指であんなに力を入れて放さないで、まあ竿と心中《しんじゅう》したようなもんだが、それだけ大事にしていたのだから、無理もねえでさあ。」
などと言っている中《うち》に雨がきれかかりになりました。主人は座敷、吉は台所へ下《さが》って昼の食事を済ませ、遅いけれども「お出《で》なさい」「出よう」というので以て、二人は出ました。無論その竿を持って、そして場処に行くまでに主人は新しく上手に自分でシカケを段々細に拵えました。
 さあ出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と違って釣れるわ、釣れるわ、むやみに調子の好い釣になりました。とうとうあまり釣れるために晩《おそ》くなって終いまして、昨日《きのう》と同じような暮方《くれがた》になりました。それで、もう釣もお終いにしようなあというので、蛇口から糸を外《はず》して、そうしてそれを蔵《しま》って、竿は苫裏《とまうら》に上げました。だんだんと帰って来るというと、また江戸の方に燈《ひ》がチョイチョイ見えるようになりました。客は昨日からの事を思って、この竿を指を折って取ったから「指折《ゆびお》※[#「※」は小書きの「リ」]」と名づけようかなどと考えていました。吉はぐいぐい漕いで来ましたが、せっせと漕いだので、艪臍《ろべそ》が乾いて来ました。乾くと漕ぎづらいから、自分の前の処にある柄杓《ひしゃく》を取って潮《しお》を汲んで、身を妙にねじって、ばっさりと艪の臍《へそ》の処に掛けました。こいつが江戸前の船頭は必ずそういうようにするので、田舎《いなか》船頭のせぬことです。身をねじって高い処から其処《そこ》を狙ってシャッと水を掛ける、丁度その時には臍が上を向いています。うまくやるもので、浮世絵《うきよえ》好みの意気な姿です。それで吉が今|身体《からだ》を妙にひねってシャッとかける、身のむきを元に返して、ヒョッと見るというと、丁度|昨日《きのう》と同じ位の暗さになっている時、東の方に昨日と同じように葭《よし》のようなものがヒョイヒョイと見える。オヤ、と言って船頭がそっちの方をジッと見る、表の間《ま》に坐っていたお客も、船頭がオヤと言ってあっちの方を見るので、その方を見ると、薄暗く
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