菊 食物としての
幸田露伴

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)然《しか》し

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)又|恰《あたか》も

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「草冠/(酉+隹)/れんが」、第3水準1−91−44、27−2]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)すが/\しい花の香や
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 菊の季節になつた。其のすが/\しい花の香や、しをらしい花の姿、枝ぶり、葉の色、いづれか人の心持ちを美しい世界に誘はぬものはない。然《しか》し取訳《とりわけ》菊つくりの菊には俗趣の厭ふべき匂《におい》が有ることもある。特《こと》に此頃流行の何玉何々玉といふ類、まるで薬玉《くすだま》かなんぞのやうなのは、欧羅巴《ヨーロッパ》から出戻りの種で、余り好い感じがしないが、何でも新しいもの好きの人々の中には八九年来此のダリヤ臭い菊がもて囃される。濃艶だからであらう。けれども美しい方へかけては最も進歩した二色もの、花弁の表裏が色を異にする蜀紅などの古いものからしてが、そも/\菊の有《も》つ本性の美とは少し異つた方面へ発達したもののやうに思へる。これも老人の感情か知らぬ。陶淵明は菊を愛したので知れた古い人だが、淵明の愛した菊は何様《どのよう》な菊だつたか不明である。云伝へでは後の大笑菊といふのであるとされてゐるが、それならばむしろ其花はさして立派でもない小さな菊である。あの風流の人が営々として花作の爺さんのやうに齷齪《あくせく》したらうとも思はれないから、自然づくり、お手数かけずのヒョロケ菊かモジャモジャ菊かバサケ菊で、それのおのづからに破れ籬《まがき》かなんかに倚《よ》りかゝり咲きに星光日精の美をあらはしたのを賞美したことだらうと想はれて、宋の詩人の笵石湖のやうに園芸美の満足を求めた菊つくりではなかつたらうと想はれるが、これは果たして当つていゐるか何様か知れない。
 菊をたべるといふことになると聊《いささ》か野蛮で小愧《こはず》かしいやうな気もせぬではないが、お前死んでも寺へはやらぬ焼いて粉にして酒で飲むといふ戯れ唄の調子とも違ひはするが、愛のはてが萎
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