って、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋《わらじ》を解《と》いてくれたり足の泥《どろ》を洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも無いが、まあ子も同様に思っているのさ。そこでおらあ、今はもう※[#「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1−84−76、74−3]がないでも食って行かれるだけのことは有るが、まだ仕合《しあわせ》に足腰も達者だから、五十と声がかかっちゃあ身体《からだ》は太義《たいぎ》だが、こうして※[#「峠」の「山へん」が「てへん」、第3水準1−84−76、74−4]いで山林方《やまかた》を働いている、これも皆《みんな》少《すこし》でも延ばしておいて、源三めに与《や》って喜ばせようと思うからさ。どれどれ今日《きょう》は三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾《にこつく》顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話《たかばなし》して、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立《ほどた》って力無げに悄然《しょんぼり》と岩の間から出て、流の下《しも》の方をじっと視《み》ていたが、堰《せ》きあえぬ涙《なみだ》を払《はら》った手の甲を偶然《ふっと》見ると、ここには昨夜《ゆうべ》の煙管の痕《あと》が隠々《いんいん》と青く現れていた。それが眼に入るか入らぬに屹《きっ》と頭《かしら》を擡《あ》げた源三は、白い横長い雲がかかっている雁坂の山を睨《にら》んで、つかつかと山手の方へ上りかけた。しかしたちまちにして一ト歩《あし》は一ト歩より遅《おそ》くなって、やがて立止まったかと見えるばかりに緩《のろ》く緩くなったあげく、うっかりとして脱石《ぬけいし》に爪端《つまさき》を踏掛《ふんがけ》けたので、ずるりと滑《すべ》る、よろよろッと踉蹌《よろけ》る、ハッと思う間も無くクルリと転《まわ》ってバタリと倒れたが、すぐには起きも上《あェ》り得ないでまず地《つち》に手を突《つ》いて上半身を起して、見ると我が村の方はちょうど我が眼の前に在った。すると源三は何を感じたか滝《たき》のごとくに涙を墜《おと》して、ついには啜《すす》り泣《なき》して止《や》まなかったが、泣いて泣いて泣き尽《つく》した果《はて》に竜鍾《しおしお》と立上って、背中に付けていた大《おおき》な団飯《むすび》を抛《ほう》り捨ててしまって、吾家《わがや》を指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実《まめやか》に働いて、叔父が我が挙動《しうち》を悦んでくれるのを見て自分も心から喜ぶ余りに、叔母の酷《むご》さをさえ忘れるほどであった。それで二度までも雁坂越をしようとした事はあったのであるが、今日まで噫《おくび》にも出さずにいたのであった。
ただよく愛するものは、ただよく解するものである。源三が懐《いだ》いているこういう秘密を誰から聞いて知ろうようも無いのであるが、お浪は偶然にも云い中《あ》てたのである。しかし源三は我が秘密はあくまでも秘密として保って、お浪との会話《はなし》をいい程《ほど》のところに遮《さえぎ》り、余り帰宅《かえり》が遅くなってはまた叱られるからという口実のもとに、酒店《さかや》へと急いで酒を買い、なお村の尽頭《はずれ》まで連れ立って来たお浪に別れて我が村へと飛ぶがごとくに走り帰った。
その四
ちょうどその日は樽《たる》の代り目で、前の樽の口のと異《ちが》った品ではあるが、同じ価《ね》の、同じ土地で出来た、しかも質《もの》は少し佳《よ》い位のものであるという酒店《さかや》の挨拶《あいさつ》を聞いて、もしや叱責《こごと》の種子《たね》にはなるまいかと鬼胎《おそれ》を抱《いだ》くこと大方ならず、かつまた塩《しお》文※[#「遙」の「しんにゅう」が「魚」、第4水準2−93−69、76−5]《とび》を買って来いという命令《いいつけ》ではあったが、それが無かったのでその代りとして勧められた塩鯖《しおさば》を買ったについても一ト方ならぬ鬼胎《おそれ》を抱いた源三は、びくびくもので家の敷居《しきい》を跨《また》いでこの経由《わけ》を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76−8]包《かわづつ》みを手にするや否《いな》やそれでもって散々《さんざん》に源三を打《ぶ》った。
何で打たれても打たれて佳いというものがあるはずは無いが、火を見ぬ塩魚の悪腥《わるなまぐさ》い――まして山里の日増しものの塩鯖の腐《くさ》りかかったような――奴《やつ》の※[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76−10]包みで、力任せに眼とも云わず鼻とも云わず打たれるのだから堪《こら》えられた訳のものでは無い。まず※[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76−12]《たけのかわ》は幾条《いくすじ》にも割《わ》れ裂《さ》ける、それでもって打たれるので※[#「竹かんむり+擇」、補助5092、76−12]《かわ》の裂目のひりひりしたところが烈《はげ》しく触《さわ》るから、ごくごく浅い疵《きず》ではあるが松葉《まつば》でも散らしたように微疵《かすりきず》が顔へつく。そこへ塩気《しおけ》がつく、腥気《なまぐさっけ》がつく、魚肉《にく》が迸裂《はぜ》て飛んで額際《ひたいぎわ》にへばり着いているという始末、いやはや眼も当てられない可厭《いや》な窘《いじ》めようで、叔母のする事はまるで狂気《きちがい》だ。もちろん源三は先妻の縁引きで、しかも主人《あるじ》に甚《ひど》く気に入っていて、それがために自分がここへ養子に入れて、生活状態《くらしざま》の割には山林《やま》やなんぞの資産の多いのを譲《ゆず》り受けさせようと思っている我が甥がここへ入れないのであるから、憎《にく》いにはあくまで憎いであろうが、一つはこの女の性質が残忍《ざんにん》なせいでもあろうか、またあるいは多くの男に接したりなんぞして自然の法則を蔑視《べっし》した婦人等《おんなたち》は、ややもすれば年老《としお》いて女の役の無くなる頃《ころ》に臨《のぞ》むと奇妙《きみょう》にも心状《こころ》が焦躁《じれ》たり苛酷《いらひど》くなったりしたがるものであるから、この女もまたそれ等《ら》の時に臨んでいたせいででもあろうか、いかに源三のした事が気に入らないにせよ、随分《ずいぶん》尋常外《なみはず》れた責めかたである。
最初は仕方が無いと諦めて打たれた。二度目は情無いと思いながら打たれた。三度目四度目になれば、口惜しいと思いながら打たれた。それから先はもう死んだ気になってしまって打たれていたが、余りいつまでも打たれている中《うち》に障《ささ》えることの出来ない怒《いかり》が勃然《ぼつぜん》として骨々《ほねぼね》節々《ふしぶし》の中から起って来たので、もうこれまでと源三は抵抗《ていこう》しようとしかけた時、自分の気息《いき》が切れたと見えて叔母は突き放って免《ゆる》した。そこで源三は抵抗もせずに、我を忘れて退いて平伏《ひれふ》したが、もう死んだ気どころでは無い、ほとんど全く死んでいて、眼には涙も持たずにいた。
その夜源三は眠《ねむ》りかねたが、それでも少年の罪の無さには暁天方《あかつきがた》になってトロリとした。さて目※[#「目へん+屯」、補助4556、78−5]《まどろ》む間も無く朝早く目が覚《さ》めると、平生《いつも》の通り朝食《あさめし》の仕度にと掛ったが、その間々《ひまひま》にそろりそろりと雁坂越の準備《ようい》をはじめて、重たいほどに腫《は》れた我が顔の心地|悪《あ》しさをも苦にぜず、団飯《むすび》から脚《あし》ごしらえの仕度まですっかりして後、叔母にも朝食をさせ、自分も十分に喫《きっ》し、それから隙《すき》を見て飄然《ふい》と出てしまった。
家を出て二三町歩いてから持って出た脚絆《きゃはん》を締《し》め、団飯《むすび》の風呂敷包《ふろしきづつ》みをおのが手作りの穿替《はきか》えの草鞋《わらじ》と共に頸《くび》にかけて背負い、腰の周囲《まわり》を軽くして、一ト筋の手拭《てぬぐい》は頬《ほお》かぶり、一ト筋の手拭は左の手首に縛《くく》しつけ、内懐《うちぶところ》にはお浪にかつてもらった木綿財布《もめんざいふ》に、いろいろの交《まじ》り銭《ぜに》の一円少し余《よ》を入れたのを確《しか》と納め、両の手は全空《まるあき》にしておいて、さて柴刈鎌《しばかりがま》の柄《え》の小長い奴を右手に持ったり左手に持ったりしながら、だんだんと川上へ登り詰めた。
やがて前《さき》の日叔父の言《ことば》を聞いて引返したところへかかると、源三の歩みはまた遅くなった。しかし今度は、前の日自分が腰掛けた岩としばらく隠れた大《おおき》な岩とをやや久《ひさ》しく見ていたが、そのあげくに突然と声張り上げて、ちとおかしな調子で、「我は官軍、我が敵は」と叫《さけ》び出して山手へと進んだ。山鳴り谷答えて、いずくにか潜《ひそ》んでいる悪魔《あくま》でも唱い返したように、「我は官軍我敵は」という歌の声は、笛吹川の水音にも紛《まぎ》れずに聞えた。
それから源三はいよいよ分り難《にく》い山また山の中に入って行ったが、さすがは山里で人となっただけにどうやらこうやら「勘」を付けて上って、とうとう雁坂峠の絶頂へ出て、そして遥《はるか》に遠く武蔵一国が我が脚下《あしもと》に開けているのを見ながら、蓬々《ほうほう》と吹く天《そら》の風が頬被《ほおかぶ》りした手拭に当るのを味った時は、躍《おど》り上《あが》り躍り上って悦んだ。しかしまた振り返って自分等が住んでいた甲斐の国の笛吹川に添う一帯の地を望んでは、黯然《あんぜん》としても心も昧《くら》くなるような気持がして、しかもその薄《うっ》すりと霞んだ霞《かすみ》の底《そこ》から、
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桑を摘め摘め、爪紅さした、花洛《みやこ》女郎衆《じょろしゅ》も、桑を摘め。
[#ここで字下げ終わり]
と清い清い澄み徹《とお》るような声で唱い出されたのが聞えた。もとより聞えるはずが有ろう訳は無いのであるが。
[#以下地付き]
(明治三十六年五月)
底本:「ちくま日本文学全集 幸田露伴」筑摩書房
1992(平成4)年3月20日第1刷発行
底本の親本:「露伴全集」岩波書店
※底本の「小書き片仮名ト」(JIS X 0213、1−6−81)は、「ト」に置き換えました。但し「トロリ」(底本78ページ−4行)の「ト」を除きます。
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:kompass
校正:林 幸雄
2001年10月2日公開
2003年11月25日修正
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