したろう。飛んでも無い返辞をして呉れたものだと、怨みもし呆れもし悲みもした事であろう。然し忠三郎氏郷は忠三郎氏郷だ。しおらしくも茶を習うたる田舎大名が、茶に招くというに我が行かぬ法は無い、往《ゆ》いて危いことは有るとも、招くに往かずば臆したに当る、機に臨みて身を扱おうに、何程の事が有ろうぞ、朝の茶とあるに手間暇はいらぬ、立寄って政宗が言語《ものいい》面色《つらつき》をも見て呉りょう、というのであったろう。政宗の方には何様いう企図が有ったか分らぬ。蒲生方では政宗が氏郷を茶讌《ちゃえん》に招いたのは、正《まさ》に氏郷を数寄屋《すきや》の中で討取ろう為であったと明記して居る。然しそれは実際|然様《そう》だったかも知れぬが、何も政宗の方で手を出して居る事実が無いから、蒲生方で然様思ったという証拠にはなるが、政宗方で然様いう企を仕たという証拠にはならぬ。又万一然様いう企をしたとすれば、鶺鴒《せきれい》の印の眼球《めだま》で申開きをするほどの政宗が、直接自分の臣下などに手を下させて、後に至って何様《どう》ともすることの出来ぬような不利の証拠を遺そうようはない。前野と敵地大崎領とは目睫《もくしょう》の間であるから、或は一揆方《いっきがた》の剛の者を手引して氏郷の油断に乗じて殺させ、そして政宗方の者が起って其者共を其場で切殺して口を滅して終《しま》おう、という企をしたというのならば、其の企も聊《いささ》かは有り得もす可きことになる。然《さ》も無くば政宗にしては些《ちと》智慧が足らないで手ばかり荒いように思える。但し蒲生方の言も全く想像にせよ中《あた》って居るところが有るのでは無いかと思われる所以《ゆえん》は幾箇条もあり、又ずっと後に至って政宗が氏郷に対して取った挙動で一寸|窺《うかが》えるような気のすることがある。それは後に至って言おう。此処では政宗に悪意が有った証は無いというのを公平とする。が、何にせよ此時蒲生方に取って主人氏郷が茶讌《ちゃえん》に赴くことを非常に危ぶんだことは事実で、そして其の疑懼《ぎく》の念を懐《いだ》いたのも無理ならぬことであった。氏郷が其の請を拒まないで、何程の事やあらんと懼《おそ》れ気《げ》も無しに、水深うして底を知らざる魔の淵の竜窟|鮫室《こうしつ》の中に平然として入ろうとするのは、縮むことを知らない胆ッ玉だ。織田信長は稲葉一鉄を茶室に殺そうとしたし、
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