位づける所以《ゆえん》である。山高きがゆゑに貴《たふと》からず、樹あるを以つて貴しとするといふ古い語は今でも生きてゐる。樹が多ければ、山が潤ふ、水が清くなる、空氣が好くなる、景色が乾枯《かんこ》と怪詭《くわいき》といふイヤな味を出さなくなる、人をして親しみと懷かしみとを覺えさせる。縣廳の世話の屆くからでもあらうが、土地の人民の聰明と善良とが何程その土地をよくするかも知れぬ。二十何年ぶりかで鹽原へ來て、前の鹽原より今の鹽原が便利で、そして平安であるのみならず、到るところ清潔《きれい》になつて、しかも幸に俗趣味にも墮《だ》せぬ公園的の美に仙郷的の幽を兼ねた土地と發達したのを見て、愉悦の情に堪へぬ氣がした。魚どめ、左靱《ひだりうつぼ》、寒凄橋、一々列擧していふまでもない、皆好い/\とほめちぎつて、福渡戸《ふくわた》の桝屋に投宿した。日はまだ高かつたが、雨ははら/\と降つてゐた。
翌十二日は天狗岩、野立岩、七ツ岩を賞し、門前、古町、木の葉石、畑下《はたおり》、須卷、小太郎ヶ淵、玉簾《たまだれ》の瀧、鹽の湯等を見めぐつて、晝過ぎに西那須發車、夕暮上野着、この三泊の旅を終つた。鹽原にも瀧は多く、仁三郎の瀧、萬五郎の瀧、龍化《りゆうげ》の瀧等、觀るべきものであるが、わざと觀ないで濟ませたのは、いくら夏の日の瀧見でも、重複は暑苦しいからと、華嚴に敬意を表して、今度の秋の紅葉の頃の樂みに殘したのであつた。
底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「東京日日新聞」
1927(昭和2)年8月1〜8日
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
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