を止めさせた。舊い頃では橘《たちばな》南谿《なんけい》と共に可成り足跡《そくせき》が廣く、且又同じく紀行(漫遊文草)を遺した澤元※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]《たくげんがい》が、この中岩を稱して、その上で酒など飮んでゐる事がその文によつて記臆に存してゐたからである。車を下りて靜かに四方を見ると、鬼怒川が北から來つてこの巖にせかれて、分れて深潭をなし、※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]廻《えいくわい》して悠揚|逼《せま》らず南に晴れやかに去る風情はまことに面白く、兩岸の巖壁沙汀のさまも好く、松や雜樹《ざふき》の畫意《ゑごゝろ》に簇立《むらだ》つてゐるのもうれしい。安成子は河原へ下り立つて寫眞を撮《と》つた。
八
中岩より以北の道路は水をはなれるので景色は平凡になる。中岩の奇は平凡の中に突として奇をほしいまゝにしてゐるので愈※[#「二の字点」、1−2−22]妙なのである。しかし鬼怒川の兩岸は、中岩以北も相當に太古よりの秋霖春漲に洗ひ出されて巖壁を露《あら》はしてゐることだらう、隨つて細《こま》かに川筋を見たら美しいところもあるだらうと思はれる。
車は高徳、大原を經て、遙に左方對岸に鬼怒川發電の設備を見、それから鬼怒川に架つてゐるよぼ/\橋を渡りかゝつた。橋上の眺めは左右に岸壁を見、白沫立《しらあわだ》つてたぎり流るゝ川に臨むのであるから、緑蔭水聲、おのづから兩袖に清風を湧かす概があつて、名も餘り高く無いところだが、小じんまりして溪谷美のあることを感じさせられる。橋を渡ると下瀧温泉の旅舍があつて、溪《たに》に臨んで樓を起してゐる。われ等は此處の草分の麻屋といふに投じて晝餐を取つた。
樓上の一室の欄に※[#「馮/几」、第4水準2−3−20]ると、溪は目の下に白くなり碧くなつて流れてゐる。水聲は中々激しくて、川といはうよりは瀧といつた方が好い位であり、成程「瀧」といふ地名も名詮自性であると首肯《うなづ》かせた。下瀧より少し上に河一體が大瀧になつてゐるのが眞白に見えて、そこより上は上瀧と小名《こな》に呼ぶところだ。川上は高原、鷄頂の諸山が聳えて、海拔はさほどに高いところでは無いが山懷の窄《せま》いところを鬼怒川が怒流してゐるので氣流の加減によつてか、他處では雨が無かつたのに、聞けば毎日雨があつたといふことで、この
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