遊覽地になつたために、道路は北へも西へも通じてゐて、實際に突きあたりの地では無くなつたのである。しかし自動車で行ける路でも無いので、昔日の健脚、今の寢足《ねあし》、しかた無いからまた中禪寺へ歸つた。
 湯瀧は湯の湖より落つる水である。たきといふ語の通りに、眞白になつて岩の傾斜面をたぎり落つるのである。兒童《こども》のすべり臺を水が落ちると思へば間違ひはない。今に遊戲的にこの瀧を落下する設備をする人があるかも知れない、といふのは戲諢談《おどけばなし》だが、ほんとにさういふことをしたら、可なり突飛なことの好きな人を滿足させ得るだらう。
 車は夕暮に迫つて菖蒲が濱から歌が濱へと走つたが、この間のドライブは實に愉快である。右は中禪寺湖水なり、左は男體山なり、道は好し、樹木の茂れる中を走るのであるから、そのさわやかさは幾度も繰返して味はひたいと思ふくらゐである。車中から偶然《ふと》見る湖岸に漣波《さゞなみ》が立つて赤腹といふ小魚が群騷いでゐる。産卵のために雌魚雄魚が夢中になつてゐるのである。古い語で「クキル」とこれをいふ。北海道では今、群來の二字を充《あ》てるが、古は漏の字を充てゝゐる。鯡《にしん》のくきる時は漕いでゐる舟の櫂でも艫でも皆、かずの子を以てかずの子|鍍金《めつき》をされてしまふ位である。今雜魚はその生殖期の特徴たる赤い線を身側に鮮かにして、騷ぎまはつてゐる。と見るや否や土地の人は忽ち車を止めさせた。人々は渚《なぎさ》に歩み寄つて、各※[#二の字点、1−2−22]手取りにせんとした。安成子も早速に水の中へ手を突つ込んで首尾よく手づかみにしたのは、時に取つての無邪氣な餘興であつた。宿へ歸つて鹽燒にさせて、先生大得意で天賜の佳肴に一盞の麥酒《ビール》を仰いだところは如何にも樂しさうであつた。但しその魚の大さ三尺五寸也、十倍にして。
 十一日。人力車をやとひて馬返しまで下る。途中、かごの岩、屏風岩など、いづれも他所にあつては名を高くするに足りるものであると賞した。馬返しより自動車を頼んで日光へ下り、東照宮大猷廟《たいいうべう》その他は今囘は遙拜のみして、稻荷川を渡つて霧降の瀧へと向つた。瀧見臺の茶屋まで車で行ける樣になつてゐるので勞は無い。そこから細徑《ほそみち》を少し行くと、俄然として路は巖端《いははな》に止まつて、脚下は絶壁の深澗になり、眼前の對《むか》ひの巖壁に霧
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