然も破壞|潰裂《くわいれつ》させられるのを如何《いかん》ともし難い。地獄|變相《へんざう》の圖の樣な景色が出來ても是非に及ばないが、何人にも詩人的情緒は有るから、生氣に充《み》ちた青々《あを/\》とした山々の間に、鬼々《おに/\》しくなつた枯木の山を望んでは黯然としてこれを哀しまないものは無い。段々走つて白岩あたりに行くと、岸のさま湖のさまも物さびて、巨巖危ふく水に臨み、老樹|矮《ち》びて巖に倚《よ》るさまなど、世ばなれてうれしい。仰げば蓋《かさ》を張つたやうな樹の翠、俯《うつむ》けば碧玉を溶《と》いたやうな水の碧《あを》、吾が身も心も緑化するやうに思はれた。
千手が濱から赤岩、丁度白岩に對してゐるが、岩こそ赭色なれ、こゝも宜い景色である。千手が濱で艇を出て、アングリング・エンド・カウンツリー・クラブの養魚場を見たが、舟から上つて平地の林の中へ入つて行く感じは眞に平和な仙郷へでも入るやうで、甚だ人に怡悦《いえつ》の情を味はしめた。緑蔭鮮かなるところ、小流れの清水を一區畫一區畫的に段々たゝへて、川マス、ニジマス、ブルトラウト、スチールヘッド等の各種鱒族の幼魚を養つてある。水清く魚|健《すこ》やかに、日光樹梢を漏りてかすかに金を篩《ふる》ふところ、梭影《さえい》縱横して魚|疾《と》く駛《はし》るさま、之を視て樂んで時の經つのを忘れしむるものがある。
菖蒲ヶ濱にも養魚場がある。これは帝室關係のもので、野趣は少い代り堂々たる設備で、養魚池もひろく、鱒も二尺位になつてゐるのが數多く見えた。釣魚もおもしろいが養魚はなほ更《さら》佳趣の多いことで、二ヶ所の養魚場を見て、自分も一閑地を得たら魚を養ひたいナアと、羨み思ふを免《まぬか》れなかつた。莊惠觀魚《さうけいくわんぎよ》の談このかた、魚を觀るのは長閑《のどか》な好い情趣のものに定つてゐるが、やがて割愛して、今度は艇を捨て、自動車で龍頭《りゆうづ》の瀧へと向つた。
龍頭の瀧もまた別趣を有してゐる好い瀧である。水は斜《なゝめ》に巨巖の上を幾段にも錯落離合してほとばしり下るので、白龍|競《きそ》ひ下るなどと古風の形容をして喜ぶ人もあるのだが、この瀧の佳い處はたゞ瀧の末のところに安坐して、手近に樂々と見ることと、巖石の磊※[#「石+可」、166−上−15]《らいか》たるをば眼前にする所にある。
路は男體山の西へ廻り込んで、さした
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