つひや》し、それまでは世に知られ無い神祕境であつたのを遂に開いたのである。その事は空海の性靈集中の碑文に見え、またそれによつて書いたと見える元亨釋書《げんかうしやくしよ》にも見えてゐる。神護《じんご》景雲《けいうん》から延暦《えんりやく》にわたつての事で、弘法大師よりは少し前の人である。この頃は有力の佛者が諸所の山々を開いた時代で、小角《をつぬ》が芳野を開き、泰澄《たいちよう》が白山《はくさん》を開いたのなどは先蹤《せんしよう》をなしてゐる。上人の所持物だつたといふものが眞實であるならば、相當に貴族的有力者的生活者だつた事が窺ひ知られる。おもふに地方において中々の權力地位を有してゐた人であつて、それでこの山をも開き得たのであらう。元來この山の名は二荒山であつて、音讀して美しい字面を填《は》めて日光山となつたのは、たとへば赤倉温泉の中《なか》の嶽《たけ》が名香《なか》の嶽《たけ》の字で填められ、名香《みやうかう》を音讀して妙高山となり、今日《こんにち》では妙高山で通るやうになつたと同じである。また二荒を普陀落《ふだら》にあてゝ觀音所縁の山名に通はせ、それで觀音をきざみ、勸請《くわんじやう》などもしたのであらう、弘法の文にもはやくその洒落《しやれ》が見えてゐる。とにかく勝道上人のおかげで好い山が開けたものであるから、感謝の情を起さずにはゐられない。
 堂を出て心づくのは、華嚴の瀧に飛び込んだ馬鹿者どものために供養塔が建てられたり、地藏尊がきざまれたりしてゐることである。これは死者をかなしむ美しい人情のあらはれであるが、死者は眞に人をわづらはし地を汚したものである。死にたくなるには何《いづ》れそれだけの事由《わけ》があつてだらうから、一概に罵倒したくも無いことでは有るが、同胞の一人が飛び込んだとすると、さあ大變だ、大騷ぎをしてその死骸を搜し出す、それ/″\の公私手續きを取る、その面倒さは一通りのもので無い。死んだ人は彼《あ》の恐ろしい瀧の中へ飛込んだなら一切この世とは連絡が絶えてしまふ位に考へてでも有らうが、何樣《どう》してそんなに容易に一切が水の泡となるものでは無い。瀧壺は三十何尺の深さが有つても、屍骸を食つて消化するのでも何でも無いから、必ず之を吐き出す。大勢の土地の人々は必ず之を見付け出す。見るも物憂い醜い屍は、煩雜な手續きを經て後に適法に處理される。その厄介を人々
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