のなるよ、と身にしみてぞ思はるゝ。

      巌桂

 木犀というもの、花は眼をたのしますほどにあらねど、時至りて咲き出づるや、たれこめて書《ふみ》読む窓の内にまでも其香をしのび入らせ、我ありと知らせ顔に園の隅などにてひそかに風に嘯ける、心にくし。甘く芳《かぐ》はしき香も悪しからず、花の黄金色なせるも地にこぼれて後も見ておもむき無きならず。たゞ余りに香の強きのみぞ、世を遁れたる操高き人の余りに多く歌よみたらん如く、却つて少し口惜きかたもあるように思はる。

      柘榴

 人の心もやゝ倦む頃の天《そら》に打対ひて、青葉のあちこち見ゆる中に、思切つたる紅の火を吐く柘榴の花こそ眼ざましけれ。人の眼を惹くあはれさのありといふにもあらず、人の眼を驚かす美はしさのありといふにもあらねど、たゞ人の眼を射る烈しさを有てりとやいふべき。

      海棠

 牡丹の盛りには蝶蜂の戯るゝを憎しとも思はねど、海棠の咲き乱れたるには色ある禽《とり》の近づくをだに嫉《ねた》しとぞおもふ。まことに花の美しくあはれなる、これに越えたるはあらじ。雨に悩める、露に※[#「※」は「さんずい+邑」、第3水準1−86−72、124−9]《うる》ほへる、いづれ艶なるおもむきならぬは無し。緋《ひ》木瓜《ぼけ》はこれの侍婢《こしもと》なりとかや。あら美しの姫君よ。人を迷ひに誘ふ無くば幸なり。

      巵子

 くちなしは花のすねものなり。生籬《いけがき》などに籠めらるれど恨む顔もせず、日の光りも疎きあたりに心静けく咲きたる、物のあはれ知る人には、身を潜め世に隠れたるもなか/\にあはれ深しと見らるべし。花の香もけやけくはあらで優に澄みわたれる、雲さまよふ晨、風定まる黄昏など、特《こと》に塵の世のものならぬおもむきあり。

      瑞香

 ぢんちやうげは、市人の俳諧学びたるが如し。たけも高からず、打見たるところも栄《はえ》無けれど、賤しきかたにはあらず。就いて見《まみ》えばをかしからじ、距《へだゝ》りて聞かんには興あらん。

      忘憂

 萱草のさま/″\の草の間より独り抜け出でゝ長閑に咲ける、世に諂はず人に媚びず、さればとて世を疎みもせず人に背きもせざるおもむきあり。花も百合の美しさは無けれど、しほらしさはあり。よろづ温順《すなほ》にして、君子の体を具へて小なるものともいひつべき
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