て求むべし、威を以て劫《おびやか》すべからずとて、左に璧を操《と》り右に剣を操り、蛟を撃ちて皆殺しにしけるとぞ。かゝる人なりければ其|面貌《つらつき》も恐ろしげに荒びて夷《えびす》などの如くなりけむ、孔子も貌を以て人を取りつ之を子羽に失しぬと云ひ玉へり。まるめろを子羽に擬《よそ》へんは烏滸の限りなれど、子羽といひし人、おほよそは喩へば此樹の如くにもありけむと、其後此花を見るたびに思ふも、花の添へたる智慧なれや。

      胡蝶花

 しやが、鳶尾草《いちはつ》は同じ類なり。相模、上野あたりにて見かくる事多し。射干《ひあふぎ》にも似、菖蒲《あやめ》にも似たる葉のさま、燕子花《かきつばた》に似たる花のかたち、取り出でゝ云ふべきものにもあらねど、さて捨てがたき風情あり。雨の後など古き茅屋《かやや》の棟に咲ける、おもしろからずや。すべて花は家の主人《あるじ》が眼の前に植ゑらるゝが多きに、此花ばかりは頭の上に植ゑらるゝこと多きも、あやしき花の徳といふものにや。おもへばをかし。

      躑躅花

 つゝじは品多し。花紅にして単弁《ひとへ》なるもの、珍しからねど真《まこと》の躑躅花のおもむきありと思はる。取りつくろはぬ矮き樹の一|本《もと》二本庭なる捨石の傍などに咲きたる、或は築山に添ひて一ト簇《むら》一ト簇なせるが咲きたる、いづれも美し。此花咲けば此頃よりやがて酒の味《あぢはひ》うまからずなりて、菊の花咲くまでは自ら酒盃《さかづき》に遠ざかること我が習ひなり。人は如何にや知らず、我は打対ひて酒飲むべき花とは思はず。

      李花

 すもゝの花は、淋しげに青白し。夜は疑ふ関山の月、暁は似たり沙場の雪、と古の人の詠《よ》みしもいつはりならず。貧しげなる家の頽れかゝりたる納屋のほとり、荒れたる籬の傍などに咲きたる、春の物としも無く悲し。歌に、消えがての雪と見るまで山がつのかきほのすもゝ花咲きにけり、といへるもまことにおもしろし。実《げ》に山がつのかきほなどにこそ此花咲きてふさはしかるべけれ。それも花繁く間《あはひ》遠からではをかしからじ。李花遠きに宜しく更に繁きに宜しと楊萬里の云ひたるは、よく云ひ得たりといふべし。

      玉蘭花

 もくれんは辛夷《こぶし》の類なり。花白きあり紫なるあれど、玉蘭といへば白き方をさすなるべし。散りぎははおもしろからねど、今や咲
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