う》を封じて韓《かん》王となし、開源《かいげん》に居らしむ。第二十一子|模《ぼ》を瀋《しん》王とし、第二十二子|楹《えい》を安《あん》王とし、第二十三子|※[#「木+經のつくり」、UCS−6871、253−4]《けい》を唐《とう》王とし、第二十四子|棟《とう》を郢《えい》王とし、第二十五子|※[#「木+(ヨ/粉/廾)」、253−5]《い》を伊《い》王としたり。藩《しん》王以下は、永楽《えいらく》に及んで藩に就きたるなれば、姑《しば》らく措《お》きて論ぜざるも、太祖の諸子を封《ほう》じて王となせるも亦《また》多しというべく、而《しこう》して枝柯《しか》甚《はなは》だ盛んにして本幹《ほんかん》却《かえ》って弱きの勢《いきおい》を致せるに近しというべし。明の制、親王は金冊金宝《きんさつきんほう》を授けられ、歳禄《さいろく》は万石《まんせき》、府には官属を置き、護衛の甲士《こうし》、少《すくな》き者は三千人、多き者は一万九千人に至り、冕服《べんぷく》車旗《しゃき》邸第《ていだい》は、天子に下《くだ》ること一等、公侯大臣も伏して而して拝謁す。皇族を尊くし臣下を抑うるも、亦《また》至れりというべし
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