《ほうせん》を遣《や》りて之を討たしめ、又|王《おう》僧弁《そうべん》をして代って将たらしむ。帝は高祖|武帝《ぶてい》の第七子にして、誉《よ》は武帝の長子にして文選《もんぜん》の撰者《せんじゃ》たる昭明太子《しょうめいたいし》統《とう》の第二子なり。一門の語、誉を征するの時に当りて発するか。)建文帝の仁柔《じんじゅう》の性、宋襄《そうじょう》に近きものありというべし。それ燕王は叔父たりと雖《いえど》も、既に爵を削られて庶人たり、庶人にして兇器《きょうき》を弄《ろう》し王師に抗す、其罪|本《もと》より誅戮《ちゅうりく》に当る。然《しか》るに是《かく》の如《ごと》きの令を出征の将士に下す。これ適《たまたま》以《もっ》て軍旅の鋭《えい》を殺《そ》ぎ、貔貅《ひきゅう》の胆《たん》を小にするに過ぎざるのみ、智《ち》なりという可《べ》からず。燕王と戦うに及びて、官軍時に或《あるい》は勝つあるも、此《この》令あるを以《もっ》て、飛箭《ひせん》長槍《ちょうそう》、燕王を殪《たお》すに至らず。然りと雖も、小人の過《あやまち》や刻薄《こくはく》、長者の過《あやまち》や寛厚《かんこう》、帝の過を観《み》て帝の人となりを知るべし。
 八月|耿炳文《こうへいぶん》等《ら》兵三十万を率いて真定《しんてい》に至り、徐凱《じょがい》は兵十万を率いて河間《かかん》に駐《とど》まる。炳文は老将にして、太祖創業の功臣なり。かつて張士誠《ちょうしせい》に当りて、長興《ちょうこう》を守ること十年、大小数十戦、戦って勝たざる無く、終《つい》に士誠をして志を逞《たくま》しくする能《あた》わざらしめしを以て、太祖の功臣を榜列《ほうれつ》するや、炳文を以て大将軍|徐達《じょたつ》に付《ふ》して一等となす。後又、北は塞《さい》を出でゝ元の遺族を破り、南は雲南《うんなん》を征して蛮を平らげ、或《あるい》は陝西《せんせい》に、或は蜀《しょく》に、旗幟《きし》の向う所、毎《つね》に功を成す。特《こと》に洪武《こうぶ》の末に至っては、元勲宿将多く凋落《ちょうらく》せるを以て、炳文は朝廷の重んずるところたり。今大兵を率いて北伐す、時に年六十五。樹《き》老いて材|愈《いよいよ》堅く、将老いて軍|益々《ますます》固し。然れども不幸にして先鋒《せんぽう》楊松、燕王の為《ため》に不意を襲われて雄県《ゆうけん》に死し、潘忠《はんちゅう》
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