うやく詰問して遂に其《その》偽《ぎ》なるを断ず。僧|実《じつ》は鈞州《きんしゅう》白沙里《はくさり》の人、楊応祥《ようおうしょう》というものなり。よって奏して僧を死に処し、従者十二人を配流して辺を戍《まも》らしめんとす。帝|其《その》中《うち》に在《あ》り。是《ここ》に於《おい》て已《や》むを得ずして其《その》実を告げたもう。御史また今更に大《おおい》に驚きて、此《この》事を密奏す。正統帝《せいとうてい》の御父《おんちち》宣宗《せんそう》皇帝は漢王|高煦《こうこう》の反に会いたまいて、幸《さいわい》に之を降したまいたれども、叔父《しゅくふ》の為《ため》に兵を動《うごか》すに至りたるの境遇は、まことに建文帝に異なること無し。其《そ》の宣宗《せんそう》に紹《つ》ぎたまいたる天子の、建文帝に対して如何《いかん》の感をや為《な》したまえる。御史の密奏を聞召《きこしめ》して、即《すなわ》ち宦官《かんがん》の建文帝に親しく事《つか》えたる者を召して実否を探らしめたもう。呉亮《ごりょう》というものあり、建文帝に事《つか》えたり。乃《すなわ》ち亮をして応文の果して帝なるや否《あらぬ》やを探らしめたもう。亮の応文《おうぶん》を見るや、応文たゞちに、汝《なんじ》は呉亮にあらずや、と云いたもう。亮|猶《なお》然《しか》らざるを申せば、帝|旧《ふる》き事を語りたまいて、爾《なんじ》亮に非《あら》ずというや、と仰《おお》す。亮胸|塞《ふさ》がりて答うる能《あた》わず、哭《こく》して地に伏す。建文帝の左の御趾《おんあし》には黒子《ほくろ》ありたまいしことを思ひ出《い》でゝ、亮近づきて、御趾《おんあし》を摩《ま》し視《み》るに、正《まさ》しく其のしるし御座《おわ》したりければ、懐旧の涙|遏《とど》めあえず、復《また》仰ぎ視《み》ること能《あた》わず、退いて其《その》由《よし》を申し、さて後自経して死にけり。こゝに事実明らかになりしかば、建文帝を迎えて西内《せいだい》に入れたてまつる。程済《ていせい》この事を聞きて、今日《こんにち》臣が事終りぬとて、雲南に帰りて庵《あん》を焚《や》き、同志の徒を散じぬ。帝は宮中に在り、老仏《ろうぶつ》を以て呼ばれたまい、寿《じゅ》をもて終りたまいぬという。
女仙外史《じょせんがいし》に、忠臣等名山幽谷に帝を索《もと》むるを記《き》する、有るが如《ごと》く無き
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