りたまい、今後再び来《きた》る勿《なか》れ、我|安居《あんきょ》す、心づかいすなと仰《おお》す。帝白龍庵を舎《す》てたもう。此《この》歳《とし》永楽帝は去年|丘福《きゅうふく》を漠北《ばくほく》に失えるを以て北京《ほくけい》を発して胡地《こち》に入り、本雅失里《ベンヤシリ》(Benyashili)阿魯台《アルタイ》(Altai)等《ら》と戦いて勝ち、擒狐山《きんこざん》、清流泉《せいりゅうせん》の二処に銘を勒《ろく》して還りたもう。
九年春、白龍庵|有司《ゆうし》の毀《こぼ》つところとなる。夏建文帝|浪穹《ろうきゅう》鶴慶山《かくけいざん》に至り、大喜庵《たいきあん》を建つ。十年|楊応能《ようおうのう》卒し、葉希賢《しょうきけん》次《つ》いで卒す。帝|因《よ》って一弟子《いちていし》を納《い》れて応慧《おうえ》と名づけたもう。十一年|甸《てん》に至りて還り、十二年易数を学びたもう。此《この》歳《とし》永楽帝また塞外《さくがい》に出《い》で、瓦剌《オイラト》を征したもう。皇太孫|九龍口《きゅうりゅうこう》に於《おい》て危難に臨む。十三年建文帝|衡山《こうざん》に遊ばせたもう。十四年、帝|程済《ていせい》に命じて従亡伝《じゅうぼうでん》を録せしめ、みずから叙《じょ》を為《つく》らる。十五年|史彬《しひん》白龍庵に至る、庵《あん》を見ず、驚訝《きょうが》して帝を索《もと》め、終《つい》に大喜庵《たいきあん》に遇《あ》い奉る。十一月帝|衡山《こうざん》に至りたもう、避くるある也。十六年、黔《きん》に至りたもう。十七年始めて仏書を観《み》たもう。十八年|蛾眉《がび》に登り、十九年|粤《えつ》に入り、海南諸勝に遊び、十一月還りたもう。此《この》歳《とし》阿魯台《アルタイ》反す。二十年永楽帝、阿魯台《アルタイ》を親征す。二十一年建文帝|章台山《しょうだいさん》に登り、漢陽《かんよう》に遊び、大別山《たいべつざん》に留《とど》まりたもう。
二十二年春、建文帝東行したまい、冬十月|史彬《しひん》と旅店に相《あい》遇《あ》う。此《この》歳《とし》阿魯台《アルタイ》大同《だいどう》[#ルビの「だいどう」は底本では「たいどう」]に寇《あだ》す。去年|阿魯台《アルタイ》を親征し、阿魯台《アルタイ》遁《のが》れて戦わず、師|空《むな》しく還る。今又|塞《さい》を犯す。永楽帝また親征す。敵に
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