しという。三※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]|嘗《かつ》て武当の諸《しょ》巌壑《がんがく》に游《あそ》び、此《この》山《やま》異日必ず大《おおい》に興《おこ》らんといいしもの、実となってこゝに現じたる也。


 建文帝《けんぶんてい》は如何《いか》にせしぞや。伝えて曰《いわ》く、金川門《きんせんもん》の守《まもり》を失うや、帝自殺せんとす。翰林院編修《かんりんいんへんしゅう》程済《ていせい》白《もう》す、出亡《しゅつぼう》したまわんには如《し》かじと。少監《しょうかん》王鉞《おうえつ》跪《ひざまず》いて進みて白《もう》す。昔|高帝《こうてい》升遐《しょうか》したもう時、遺篋《いきょう》あり、大難に臨まば発《あば》くべしと宣《のたま》いぬ。謹んで奉先殿《ほうせんでん》の左に収め奉れりと。羣臣《ぐんしん》口々に、疾《と》く出《いだ》すべしという。宦者《かんじゃ》忽《たちまち》にして一の紅《くれない》なる篋《かたみ》を舁《か》き来《きた》りぬ。視《み》れば四囲は固《かた》むるに鉄を以てし、二|鎖《さ》も亦《また》鉄を灌《そそ》ぎありて開くべくも無し。帝これを見て大《おおい》に慟《なげ》きたまい、今はとて火を大内《たいだい》に放たせたもう。皇后は火に赴きて死したまいぬ。此《この》時《とき》程済は辛くも篋《かたみ》を砕き得て、篋中《きょうちゅう》の物を取出《とりいだ》す。出《い》でたる物は抑《そも》何ぞ。釈門《しゃくもん》の人ならで誰《たれ》かは要すべき、大内などには有るべくも無き度牒《どちょう》というもの三|張《ちょう》ありたり。度牒は人の家を出《いで》て僧となるとき官の可《ゆる》して認むる牒にて、これ無ければ僧も暗き身たるなり。三張の度牒、一には応文《おうぶん》の名の録《ろく》され、一には応能《おうのう》の名あり、一には応賢《おうけん》の名あり。袈裟《けさ》、僧帽、鞋《くつ》、剃刀《かみそり》、一々|倶《とも》に備わりて、銀十|錠《じょう》添わり居《い》ぬ。篋《かたみ》の内に朱書あり、之《これ》を読むに、応文は鬼門《きもん》より出《い》で、余《よ》は水関《すいかん》御溝《ぎょこう》よりして行き、薄暮にして神楽観《しんがくかん》の西房《せいぼう》に会せよ、とあり。衆臣驚き戦《おのの》きて面々|相《あい》看《み》るばかり、しばらくは言《ものい》う者も無し。やゝあり
前へ 次へ
全116ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング