》を要して領内諸国を歴遊すること数万里ならしめ、既に印度《いんど》を掠《かす》めて、デリヒを取り、波斯《ペルシヤ》を襲い、土耳古《トルコ》を征し、心ひそかに支那《しな》を窺《うかが》い、四百余州を席巻して、大元《たいげん》の遺業を復せんとするあり。永楽帝の燕王たるや、塞北《さいほく》に出征して、よく胡情《こじょう》を知る。部下の諸将もまた夷事《いじ》に通ずる者多し。王の南《みなみ》する、幕中《ばくちゅう》に番騎《ばんき》を蔵す。凡《およ》そ此《これ》等《ら》の事に徴して、永楽帝の塞外《さくがい》の状勢を暁《さと》れるを知るべし。若《も》し建文帝にして走って域外に出《い》で、崛強《くっきょう》にして自大なる者に依《よ》るあらば、外敵は中国を覦《うかが》うの便《べん》を得て、義兵は邦内《ほうない》に起る可《べ》く、重耳《ちょうじ》一たび逃れて却《かえ》って勢を得るが如きの事あらんとす。是《こ》れ永楽帝の懼《おそ》れ憂《うれ》うるところたらずんばあらず。鄭和《ていか》の艦《ふね》を泛《うか》めて遠航し、胡※[#「さんずい+「勞」の「力」に代えて「火」」、UCS−6FD9、401−2]《こえい》の仙《せん》を索《もと》めて遍歴せる、密旨を啣《ふく》むところあるが如し。而《しこう》して又鄭は実に威を海外に示さんとし、胡《こ》は実に異を幽境に詢《と》えるや論無し。善《よ》く射る者は雁影《がんえい》を重ならしめて而して射、善《よ》く謀《はか》る者は機会を復ならしめて而して謀る。一|箭《せん》二|雁《がん》を獲《え》ずと雖《いえど》も、一雁を失わず、一計双功を収めずと雖も、一功を得る有り。永楽帝の智《ち》、豈《あに》敢《あえ》て建文を索《もと》むるを名として使《つかい》を発するを為《な》さんや。況《いわ》んや又鄭和は宦官《かんがん》にして、胡※[#「さんずい+「勞」の「力」に代えて「火」」、UCS−6FD9、400−8]《こえい》と偕《とも》にせるの朱祥《しゅしょう》も内侍《ないし》たるをや。秘意察す可きあるなり。
鄭和《ていか》は王景弘《おうけいこう》等《ら》と共に出《いで》て使《つかい》しぬ。和の出《い》づるや、帝、袁柳荘《えんりゅうそう》の子の袁忠徹《えんちゅうてつ》をして相《そう》せしむ、忠徹|曰《いわ》く可なりと。和の率いる所の将卒二万七千八百余人、舶《ふね》長さ四
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