平王《とうへいおう》に追封《ついほう》せらるゝに至りしもの、豈《あに》偶然ならんや。
燕軍の勢《いきおい》非にして、王の甲《よろい》を解かざるもの数日なりと雖《いえど》も、将士の心は一にして兵気は善変せるに反し、南軍は再捷《さいしょう》すと雖も、兵気は悪変せり。天意とや云わん、時運とや云わん。燕軍の再敗せること京師に聞えければ、廷臣の中《うち》に、燕今は且《まさ》に北に還《かえ》るべし、京師空虚なり、良将無かるべからず、と曰う者ありて、朝議|徐輝祖《じょきそ》を召還《めしかえ》したもう。輝祖《きそ》已《や》むを得ずして京《けい》に帰りければ、何福《かふく》の軍の勢《いきおい》殺《そ》げて、単糸《たんし》の※[#「糸+刃」、第4水準2−84−10]《しない》少《すくな》く、孤掌《こしょう》の鳴り難き状を現わしぬ。加うるに南軍は北軍の騎兵の馳突《ちとつ》に備うる為に塹濠《ざんごう》を掘り、塁壁を作りて営と為《な》すを常としければ、軍兵休息の暇《いとま》少《すくな》く、往々|虚《むな》しく人力を耗《つく》すの憾《うらみ》ありて、士卒|困罷《こんひ》退屈の情あり。燕王の軍は塹塁《ざんるい》を為《つく》らず、たゞ隊伍《たいご》を分布し、陣を列して門と為《な》す。故に将士は営に至れば、即《すなわ》ち休息するを得、暇《いとま》あれば王|射猟《しゃりょう》して地勢を周覧し、禽《きん》を得《う》れば将士に頒《わか》ち、塁を抜くごとに悉《ことごと》く獲《う》るところの財物を賚《たま》う。南軍と北軍と、軍情おのずから異なること是《かく》の如し。一は人|役《えき》に就《つ》くを苦《くるし》み、一は人|用《よう》を為《な》すを楽《たのし》む。彼此《ひし》の差、勝敗に影響せずんばあらず。
かくて対塁《たいるい》日を累《かさ》ぬる中《うち》、南軍に糧餉《りょうしょう》大《おおい》に至るの報あり。燕王|悦《よろこ》んで曰《いわ》く、敵必ず兵を分ちて之を護《まも》らん、其の兵分れて勢弱きに乗じなば、如何《いか》で能《よ》く支えんや、と朱栄《しゅえい》、劉江《りゅうこう》等《ら》を遣《や》りて、軽騎を率いて、餉道《しょうどう》を截《き》らしめ、又|游騎《ゆうき》をして樵採《しょうさい》を妨げ擾《みだ》さしむ。何福《かふく》乃《すなわ》ち営を霊壁《れいへき》に移す。南軍の糧五方、平安《へいあん》馬歩
前へ
次へ
全116ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング