、刀《とう》を持てる者を殺して脱帰し、直《ただち》に衆を導いて城を陥《おと》しゝことあり。勇力察す可《べ》し。後《のち》戦功を以《も》って累進して将となり、蜀《しょく》を征し、雲南《うんなん》を征し、諸蛮《しょばん》を平らげ、雄名世に布《し》く。建文元年|耿炳文《こうへいぶん》に従いて燕と戦う。炳文敗れて、成|執《とら》えらる。燕王自ら其《その》縛を解いて曰く、皇考の霊、汝《なんじ》を以《もっ》て我に授くるなりと。因《よ》って兵を挙ぐるの故を語る。成感激して心を帰《き》し、遂《つい》に世子を輔《たす》けて北平を守る。然《しか》れども多く謀画《ぼうかく》を致すのみにして、終《つい》に兵に将として戦うを肯《がえ》んぜす、兵器を賜《たま》うも亦《また》受けず。蓋《けだ》し中年以後、書を読んで得るあるに因《よ》る。又一種の人なり。後《のち》、太子|高熾《こうし》の羣小《ぐんしょう》の為《ため》に苦《くるし》めらるるや、告げて曰く、殿下は但《ただ》当《まさ》に誠を竭《つく》して孝敬《こうけい》に、孳々《しし》として民を恤《めぐ》みたもうべきのみ、万事は天に在り、小人は意を措《お》くに足らずと。識見亦高しというべし。成は是《かく》の如き人なり。旗を見るや、愴然《そうぜん》として之を壮《そう》とし、涙下りて曰く、臣|少《わか》きより軍に従いて今老いたり、戦陣を歴《へ》たること多きも、未《いま》だ嘗《かつ》て此《かく》の如きを見ざるなりと。水滸伝《すいこでん》中の人の如き成をして此《この》言を為《な》さしむ、燕王も亦悪戦したりというべし。而して燕王の豪傑の心を攬《と》る所以《ゆえん》のもの、実に王の此《こ》の勇往|邁進《まいしん》、艱危《かんき》を冒して肯《あえ》て避けざるの雄風《ゆうふう》にあらずんばあらざる也。
四月、燕兵|大名《だいみょう》に次《じ》す。王、斉泰《せいたい》と黄子澄《こうしちょう》との斥《しりぞ》けらるゝを聞き、書を上《たてまつ》りて、呉傑《ごけつ》、盛庸《せいよう》、平安《へいあん》の衆を召還せられんことを乞《こ》い、然《しか》らずんば兵を釈《と》く能《あた》わざるを言う。帝|大理少卿《たいりしょうけい》薛※[#「山/品」、第3水準1−47−85]《せつがん》[#「薛※[#「山/品」、第3水準1−47−85]」は底本では「薜※[#「山/品」、第3水準1−4
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