きにあらずと雖《いえど》も、景隆凡器にして将材にあらず。燕王父子、天縦《てんしょう》の豪雄に加うるに、張玉、朱能、丘福等の勇烈を以《もっ》てす。北軍の克《か》ち、南軍の潰《つい》ゆる、まことに所以《ゆえ》ある也。
 山東参政《さんとうさんせい》鉄鉉《てつげん》は儒生より身を起し、嘗《かつ》て疑獄を断じて太祖の知を受け、鼎石《ていせき》という字《あざな》を賜わりたる者なり。北征の師の出《い》づるや、餉《しょう》を督して景隆の軍に赴かんとしけるに、景隆の師|潰《つい》えて、諸州の城堡《じょうほ》皆|風《ふう》を望みて燕に下るに会い、臨邑《りんゆう》に次《やど》りたるに、参軍|高巍《こうぎ》の南帰するに遇《あ》いたり。偕《とも》に是《こ》れ文臣なりと雖《いえど》も、今武事の日に当り、目前に官軍の大《おおい》に敗れて、賊威の熾《さか》んに張るを見る、感憤何ぞ極まらん。巍は燕王に書を上《たてまつ》りしも効《かい》無かりしを歎《たん》ずれば、鉉は忠臣の節に死する少《すくな》きを憤る。慨世の哭《なげき》、憂国の涙、二人|相《あい》持《じ》して、※[#「さんずい+玄」、第3水準1−86−62]然《げんぜん》として泣きしが、乃《すなわ》ち酒を酌《く》みて同《とも》に盟《ちか》い、死を以て自ら誓い、済南《せいなん》に趨《はし》りてこれを守りぬ。景隆は奔《はし》りて済南に依《よ》りぬ。燕王は勝《かち》に乗じて諸将を進ましめぬ。燕兵の済南に至るに及びて、景隆|尚《なお》十余万の兵を有せしが、一戦に復《また》敗られて、単騎走り去りぬ。燕師の勢|愈《いよいよ》旺《さか》んにして城を屠《ほふ》らんとす。鉄鉉、左都督《さととく》盛庸《せいよう》、右都督《ゆうととく》陳暉《ちんき》等《ら》と力を尽して捍《ふせ》ぎ、志を堅うして守り、日を経《ふ》れど屈せず。事聞えて、鉉を山東布政司使《さんとうふせいしし》と為《な》し、盛庸を大将軍と為《な》し、陳暉を副将軍に陞《のぼ》す。景隆は召還《めしかえ》されしが、黄子澄《こうしちょう》、練子寧《れんしねい》は之を誅《ちゅう》せずんば何を以《もっ》て宗社《そうしゃ》に謝し将士を励まさんと云《い》いしも、帝|卒《つい》に問いたまわず。燕王は済南を囲むこと三月に至り、遂《つい》に下《くだ》すこと能《あた》わず。乃《すなわ》ち城外の諸渓《しょけい》の水を堰《せ》きて灌《
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