りなり。国の大事ぞ、等閑《なおざり》になせそ、もし何者にもあれ天神の難問を能《よ》く解き開き得ば厚く賞与をすべきなりと、一国内に洽《あまね》く知らしめて答弁《こたえ》を募るに応ずるものも更になし。彼の大臣は家に帰りて、もし我が父の知ることもやと例の密室に至りてこの由《よし》を述べけるに、そは難渋《むつかし》きことにあらず、軟※[#「而/大」、第4水準2−85−5]《やわらか》にして細《こまか》きものを蛇に近づけてその躁《さわ》ぐを雄と知り、静かなるを雌と知るべしと教へければ、大臣は急に王宮に行きてこの旨をいひ出で、試しみるに果してその言の如く、雄雌紛るるかたもあらず。王は悦《よろこ》びて天神に対《むか》ひ、これは雌にしてこれは雄なりと答ふるにその答誤りなければ、天神はまた一大白象を現《あらわ》して、この象の重さ幾斤両ぞ、答へ得ずんば国を覆《くつがえ》さん、と難題を出《いだ》しぬ。
 王も諸臣も、如何《いか》にして秤皿《はかりざら》にも載せがたきこの大象の重さを知り得んと答へ迷《まど》ひけるが、彼《かの》大臣はまた父に問ひ尋ぬるに、そは易《やす》きことなり、象をば船に打乗せて水の船を没《かく》すところに印《しるし》をつけ置き、さて象の代りに石を積みて先の印のところまで船の水に没るるを見計らひ、一々石の量目《めかた》を量り集めなば即《すなわ》ち象の斤両を得べしと教へられ、道理《もっとも》なりと合点《がてん》してこの智《ち》をもつて天神に答へける。よしよし、さらばまた問はむ、一掬《いっきく》の水の大海より多きことあり、この理を知るや、と天神の例の如くに難問を下すに、例のごとく王らはまた答へを為《な》し得で困りけれど、彼大臣は例のごとく老父の教《おしえ》を得て、その語は極めて解きやすし、もし人ありて慈悲心をもて父母《ちちはは》乃至《ないし》世の病人なんどに水を施さば、仮令《たとい》その量《かさ》少くして僅《わずか》に掌《てのひら》に掬《むす》びたるほどなりとも、その功徳《くどく》広大無辺にして大海といへども比ぶるに足らじといひければ、この度は天神忽ち身を変じて、眉《まゆ》うつくしく色あざやかに、玉とも花ともいふべきまで※[#「女+交」、第4水準2−5−49]麗《かおよ》き女と化けながら、世間に我ほど端厳《うつくし》きものあるべきやと尋ねたり。
 王らは例の如く答なかりしが大臣はまた父にききて、世間にはなほ端厳《うつくし》く妙《たえ》なるもののなきにあらず、道を守りて心を正し、父母に事《つか》へては孝に君に事へては忠に、他に対しては温和にして、心に大《おおい》なる慈悲を懐《いだ》くものあらばその端厳さ千万倍なり、今の汝をそれに比べば※[#「けものへん+彌」、第3水準1−87−82]猴《さる》の如くに劣りなんと答ふるに、天神はまた栴檀《せんだん》の木の頭尾《もとすえ》知れざるものを出《いだ》して、いづれの方《かた》が樹《き》の根のかたにていづれの方《かた》が樹梢《こずえ》の方ぞ、疾《と》く答へよ、と問ひ詰《なじ》りぬ。王らはまた答へ得ざりしが彼大臣はまた父に教へられて、木を水中に投げ入れつ、浮きたる方こそ樹末《こずえ》なれ、根の方は木理《きのめ》つみて自然《おのず》と重ければ下に沈むなりと答へけるに、天神はまた同じやうなる牝馬《めうま》二匹を指《ゆびさ》して、那箇《いずれ》が母か那箇が子か、と詰り問ひぬ。君臣共に例の通り答へ得ざれば、彼《かの》大臣はまたもや父より教へられて、草を一時に食はせんに母の馬はかならず先に子に食はせ、子の駒《こま》は母より後に食ふことなからむ、と道理を詰めて答へけるを、天神大きに賞讃なし、幾番の我が難問を一々申し開き得たれば、国王ならびに群臣とも心易かれ、今より後は我この国を護《まも》りやりて外敵侵害し能《あた》はざらしめん、といひ置きて天に上《のぼ》りける。
 国王大きに悦びて、これも皆|彼者《かのもの》の智慧《ちえ》ありし故《ゆえ》なればと、彼大臣を呼び出《いだ》して恩賞の沙汰《さた》ありけるに、この御恩賞としては願はくは臣が罪を免《ゆる》したまへ、実は臣国法を破りて老いたる父を棄てざりしが、その父に尋ね問ひて一々答を得しなり、といひければ王は大きに感歎なし、その老父を召出《めしいだ》して師となし、大臣を厚く賞し、なほ国中に令を下して老いたるものを棄つるをば厳しく禁じ、四民に孝行を篤《あつ》く勧められけるとぞ。老いたるものとて侮るべからず、無用に似たる人をも物をも浪《みだり》に棄てずば、また益をなすことあるべし。



底本:「日本児童文学名作集(上)」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年2月16日第1刷
底本の親本:「露伴全集10」岩波書店
   1953(昭和28)年7月
初出:「小国民」学齢館
   1893(明治26)年6月下旬、7月上旬
※「ルビは現代仮名遣い」とする底本の編集方針にそい、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:広橋はやみ
校正:門田裕志
2005年1月20日作成
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