にょ》、その二人の道ずれでも何でもない。当日ただ一人で、亀井戸《かめいど》へ詣《もう》でた帰途《かえり》であった。
住居《すまい》は本郷。
江東橋《こうとうばし》から電車に乗ろうと、水のぬるんだ、草萌《くさもえ》の川通りを陽炎《かげろう》に縺《もつ》れて来て、長崎橋を入江町に掛《かか》る頃から、どこともなく、遠くで鳴物の音が聞えはじめた。
松崎は、橋の上に、欄干に凭《もた》れて、しばらく彳《たたず》んで聞入ったほどである。
ちゃんちきちき面白そうに囃《はや》すかと思うと、急に修羅太鼓《しゅらだいこ》を摺鉦《すりがね》交《まじ》り、どどんじゃじゃんと鳴らす。亀井戸寄りの町中《まちなか》で、屋台に山形の段々染《だんだらぞめ》、錣頭巾《しころずきん》で、いろはを揃えた、義士が打入りの石版絵を張廻わして、よぼよぼの飴屋《あめや》の爺様《じさま》が、皺《しわ》くたのまくり手で、人寄せにその鉦《かね》太鼓を敲《たた》いていたのを、ちっと前《さき》に見た身にも、珍らしく響いて、気をそそられ、胸が騒ぐ、ばったりまた激しいのが静まると、ツンツンテンレン、ツンツンテンレン、悠々とした糸が聞えて、……本所駅へ、がたくた引込《ひっこ》む、石炭を積んだ大八車の通るのさえ、馬士《まご》は銜煙管《くわえぎせる》で、しゃんしゃんと轡《くつわ》が揺れそうな合方となる。
絶えず続いて、音色《ねいろ》は替っても、囃子《はやし》は留まらず、行交《ゆきか》う船脚は水に流れ、蜘蛛手《くもで》に、角《つの》ぐむ蘆《あし》の根を潜《くぐ》って、消えるかとすれば、ふわふわと浮く。浮けば蝶の羽《は》の上になり下になり、陽炎《かげろう》に乗って揺れながら近づいて、日当《ひあたり》の橋の暖い袂《たもと》にまつわって、ちゃんちき、などと浮かれながら、人の背中を、トンと一つ軽く叩いて、すいと退《の》いて、
――おいで、おいで――
と招いていそうで。
手に取れそうな近い音。
はっ、とその手を出すほどの心になると、橋むこうの、屋根を、ひょいひょいと手踊り雀、電信柱に下向きの傾《かたが》り燕、一羽気まぐれに浮いた鴎《かもめ》が、どこかの手飼いの鶯《うぐいす》交りに、音を捕うる人心《ひとごころ》を、はッと同音に笑いでもする気勢《けはい》。
春たけて、日遅く、本所は塵《ちり》の上に、水に浮《うか》んだ島かとばかり、
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