膝を折って、膝開《ひざはだ》けに踏張《ふんば》りながら、件《くだん》の渋団扇で、ばたばたと煽《あお》いで、台辞《せりふ》。
「米が高値《たか》いから不景気だ。媽々《かかあ》めにまた叱られべいな。」
 でも、ちょっと含羞《はにか》んだか、日に焼けた顔を真赤《まっか》に俯向《うつむ》く。同じ色した渋団扇、ばさばさばさ、と遣った処は巧緻《うま》いものなり。
「いよ、牛鍋。」と頬被。
 片岡牛鍋と云うのであろう、が、役は饂飩屋《うどんや》の親仁《おやじ》である。
 チャーン、チャーン……幕の中《うち》で鉦《かね》を鳴らす。
 ――迷児《まいご》の、迷児の、迷児やあ――
 呼ばわり連れると、ひょいひょいと三人出た……団粟《どんぐり》ほどな背丈を揃えて、紋羽《もんば》の襟巻を頸《くび》に巻いた大屋様。月代《さかやき》が真青《まっさお》で、鬢《びん》の膨れた色身《いろみ》な手代、うんざり鬢の侠《いさみ》が一人、これが前《さき》へ立って、コトン、コトンと棒を突く。
「や、これ、太吉さん、」
 と差配様《おおやさま》声を掛ける。中の青月代《あおさかやき》が、提灯《ちょうちん》を持替えて、
「はい、はい。」と返事をした。が、界隈《かいわい》の荒れた卵塔場から、葬礼《とむらい》あとを、引攫《ひっさら》って来たらしい、その提灯は白張《しらはり》である。
 大屋は、カーンと一つ鉦《かね》を叩いて、
「大分|夜《よ》が更けました。」
「亥刻《いのこく》過ぎでございましょう、……ねえ、頭《かしら》。」
「そうよね。」
 と棒をコツン、で、くすくすと笑う。
「笑うな、真面目《まじめ》に真面目に、」と頬被がまた声を掛ける。
 差配様が小首を傾け、
「時に、もし、迷児、迷児、と呼んで歩行《ある》きますが、誰某《だれそれ》と名を申して呼びませいでも、分りますものでござりましょうかね。」
「私《わっし》もさ、思ってるんで。……どうもね、ただこう、迷児と呼んだんじゃ、前方《さき》で誰の事だか見当が附くめえてね、迷児と呼ばれて、はい、手前でござい、と顔を出す奴《やつ》もねえもんでさ。」とうんざり鬢が引取って言う。
「まずさね……それで闇《くら》がりから顔を出せば、飛んだ妖怪《ばけもの》でござりますよ。」
 青月代の白男《しろおとこ》が、袖を開いて、両方を掌《て》で圧《おさ》え、
「御道理《ごもっとも》でござい
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