伸び/\とした鼻の下を漸《やっ》と縮めたのは、大《おおき》な口を開《あ》けて呆《あき》れたので。薩摩は此処《ここ》から何千里あるだい、と反対《あべこべ》に尋ねたのである。少年も少し心着《こころづ》いて、此処《ここ》は何処《どこ》だらう、と聞いた時、はじめて知つた。木曾の山中《やまなか》であつたのである。
此処《ここ》で、二人で、始めて鷲の死体を見た。
麓《ふもと》へ連下《つれくだ》つた木樵が、やがて庄屋《しょうや》に通じ、陣屋に知らせ、郡《こおり》の医師を呼ぶ騒ぎ。精神にも身体《からだ》にも、見事異状がない。――鹿児島まで、及ぶべきやうもないから、江戸の薩摩屋敷まで送り届けた。
朝|五《いつ》つ時《どき》、宙に釣《つ》られて、少年が木曾|山中《さんちゅう》で鷲の爪を離れたのは同じ日の夕《ゆうべ》。七つ時、間《あいだ》は五時《いつとき》十時間である。里数は略《ほぼ》四百里であると言ふ。
――鷲でさへ、まして天狗《てんぐ》の業《わざ》である。また武士《さむらい》が刀を抜いて居たわけも、此の辺で大抵想像が着くであらう。――
ものには必ず対《つい》がある、序《ついで》に言はう。――是《これ》と前後して近江《おうみ》の膳所《ぜぜ》の城下でも鷲が武士の子を攫《さら》つた――此は馬に乗つて馬場に居たのを鞍《くら》から引掴《ひっつか》んで上《あが》つたのであるが、此の時は湖水の上を颯《さっ》と伸《の》した。刀は抜けて湖《うみ》に沈んで、小刀《しょうとう》ばかり帯に残つたが、下《した》が陸《くが》に成つた時、砂浜の渚《なぎさ》に少年を落して、鷲は目の上の絶壁の大巌《おおいわ》に翼を休めた。しばらくして、どつと下《おろ》いて、少年に飛《とび》かゝつて、顔の皮を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》りくらはんとする処《ところ》を、一生懸命|脇差《わきざし》でめくら突《づ》きにして助かつた。人に介抱《かいほう》されて、後《のち》に、所を聞くと、此の方は近かつた。近江の湖岸で、里程は二十里。――江戸と箱根は是《これ》より少し遠い。……
それから、人間が空をつられて行く状《さま》に参考に成るのがある。……此は見たものの名が分つて居る。讃州高松《さんしゅうたかまつ》、松平侯の世子《せいし》で、貞五郎《ていごろう》と云ふのが、近習《きんじゅう》たちと、浜町《はまちょう》
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