皆眠りて知れるは絶えてあらざりき。「かまへて人に語るべからず。執成立《とりなしだて》せば面倒なり」と主人はお春を警《いまし》めぬ。お村が苦痛はいかばかりなりけむ、「あら苦し、堪難《たへがた》や、あれよ/\」と叫びたりしが、次第にものも得《え》謂はずなりて、夜も明方に到りては、唯《ただ》泣く声の聞えしのみ、されば家内の誰彼《たれかれ》は藪の中とは心着《こゝろづ》かで、彼《か》の不開室《あかずのま》の怪異とばかり想ひなし、且《かつ》恐れ且|怪《あやし》みながら、元来泣声ある時は、目出度《めでた》きことの兆候《きざし》なり、と言伝《いひつた》へたりければ、「いづれも吉兆に候《さふら》ひなむ」と主人を祝せしぞ愚《おろか》なりける。午前《ひる》少しく前のほど、用人の死骸を発見《みいだ》したる者ありて、上を下へとかへせしが、主人は少しも騒ぐ色なく、「手討《てうち》にしたり」とばかりにて、手続《てつゞき》を経てこと果てぬ。お村は昨夜《ゆうべ》の夜半より、藪の真中《まなか》に打込《うちこ》まれ、身動きだにもならざるに、酒の香《か》を慕《した》ひて寄来《よりく》る蚊《か》の群は謂ふも更《さら》なり、何十年を経たりけむ、天日《てんじつ》を蔽隠《おおひかく》して昼|猶《なほ》闇《くら》き大藪なれば、湿地に生ずる虫どもの、幾万とも知れず群《むらが》り出でて、手足に取着き、這懸《はいかゝ》り、顔とも謂はず、胸とも謂はず、むず/\と往来しつ、肌を嘗《な》められ、血を吸はるゝ苦痛は云ふべくもあらざれば、悶《もだ》え苦《くるし》み、泣き叫びて、死なれぬ業《ごふ》を歎《なげ》きけるが、漸次《しだい》に精《せい》尽《つ》き、根《こん》疲れて、気の遠くなり行くにぞ、渠《かれ》が最も忌嫌《いみきら》へる蛇《へび》の蜿蜒《のたる》も知らざりしは、せめてもの僥倖《げうかう》なり、されば玉《たま》の緒《を》の絶えしにあらねば、現《うつゝ》に号泣《がうきふ》する糸より細き婦人《をんな》の声は、終日《ひねもす》休《や》む間《ひま》なかりしとぞ。
 其日も暮れ、夜《よ》に入りて四辺《あたり》の静《しづか》になるにつれ、お村が悲喚《ひくわん》の声|冴《さ》えて眠り難《がた》きに、旗野の主人も堪兼《たまりか》ね、「あら煩悩《うるさ》し、いで息の根を止めむず」と藪の中に走入《はしりい》り、半死半生の婦人《をんな》を引出《ひ
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