んな》の泣声《なきごゑ》、不開室の内に聞えて、不祥《ふしやう》ある時は、さも心地好《こゝちよ》げに笑ひしとかや。
旗野に一人《いちにん》の妾《せふ》あり。名を村《むら》といひて寵愛|限無《かぎりな》かりき。一年《あるとし》夏の半《なかば》、驟雨後《ゆふだちあと》の月影|冴《さや》かに照《てら》して、北向《きたむき》の庭なる竹藪に名残《なごり》の雫《しづく》、白玉《しらたま》のそよ吹く風に溢《こぼ》るゝ風情《ふぜい》、またあるまじき観《ながめ》なりければ、旗野は村に酌を取らして、夜更《よふく》るを覚えざりき。
お村も少《すこ》しくなる[#「なる」に傍点]口なるに、其夜《そのよ》は心|爽《さわや》ぎ、興《きよう》も亦《また》深かりければ、飲過《のみすご》して太《いた》く酔《ゑ》ひぬ。人《ひと》静まりて月の色の物凄《ものすご》くなりける頃、漸《やうや》く盃《さかづき》を納めしが、臥戸《ふしど》に入《い》るに先立ちて、お村は厠《かはや》に上《のぼ》らむとて、腰元に扶《たす》けられて廊下伝ひに彼《かの》不開室の前を過ぎけるが、酔心地の胆《きも》太《ふと》く、ほと/\と板戸を敲《たゝ》き、「この執念深き奥方、何とて今宵《こよひ》に泣きたまはざる」と打笑《うちわら》ひけるほどこそあれ、生温《なまぬる》き風一陣吹出で、腰元の携《たづさ》へたる手燭《てしよく》を消したり。何物にか驚かされけむ、お村は一声きやつと叫びて、右側なる部屋の障子を外して僵《たふ》れ入ると共に、気を失ひてぞ伏したりける。腰元は驚き恐れつゝ件《くだん》の部屋を覗けば、内には暗く行灯《あんどう》点《とも》りて、お村は脛《はぎ》も露《あらは》に横《よこた》はれる傍《かたはら》に、一人《いちにん》の男ありて正体も無く眠れるは、蓋《けだし》此家《このや》の用人なるが、先刻《さきに》酒席に一座して、酔過《ゑひすご》して寝《い》ねたるなれば、今お村が僵れ込みて、己《おの》が傍《かたへ》に気を失ひ枕をならべて伏したりとも、心着《こゝろづ》かざる状《さま》になむ。此《この》腰元は春《はる》といひて、もとお村とは朋輩なりしに、お村は寵《ちよう》を得てお部屋と成済《なりすま》し、常に頤《あご》以《も》て召使はるゝを口惜《くちをし》くてありけるにぞ、今|斯《か》く偶然に枕を並べたる二人《ににん》が態《すがた》を見るより、悪心むらむ
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